そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

記憶の近似曲線

 

たしか314日のことだったと思う。仙台駅からすこし北に向かったところにケーブルテレビ局の本社があって、歩道から見えるように設置されている街頭モニターでテレビのニュース映像を見た。家はまだ電気が来ておらず、映像をきちんと見るのはその日がはじめてだった。そこで見たものは、ここからずっとずっと遠くの、名前も知らないような外国の映像のように思えた。よく知っている地名の、通ったことのある道路の映像を見てもそう思った。モニターを見るまでに、地震で大きく崩れてしまったビルや、地割れのせいでねじれてしまったガードレールなどがある商店街を通ってきたけれど、実際に目で見た景色とモニターに映る映像は全く違う世界のものに感じた。電気とガスと水道のない自宅に戻っても、あの映像のことだけは信じられずにいた。

自分がどんな高校生だったかをもう思い出せない。高校を卒業したとほぼ同時にスマホに変えて、その時までに撮りためた写真の引き継ぎに失敗したから、高校時代の写真はほとんど残っていない。当時書いていたブログを読んでも、まともに文章の体をなしていないものばかりで(僕がこんな風にまとまった文が書けるようになるのは大学に入ってからである)、あのとき僕がなにを考え、どんな服を着て、どう喋っていたのか、もはや思い出すというよりも推測とか創作とかになってしまう。

いつの間にか僕たちは、鮮明に思い出すのではなくて、こうだったのではないか、ああだったのだろう、という風に、あの日から続いた日々を物語っているのかもしれない。鮮明に覚えている点と点をつなげて、合間にあるいくつもの点群をすり抜けていくようにして、記憶の近似曲線を作っている。出来るだけ滑らかに、あたかもそこを通ったかのように引く。いつしかその曲線が事実となり、星座に混ぜてもらえなかった星みたいな小さな点がほかの光に追いやられてますます弱くなっていく。

毎年この時期になると、曲線からこぼれ落ちた点のことを思う。今日までの道には不可欠な、だけどいつもはなかったことにしているたくさんの点。宇宙旅行のつもりで記憶の天体をぐねぐねと巡る。何かを確かめるように、もしくは罪滅ぼしのように。けれども、思い浮かべられる点が毎年すこしずつ減っていることに気付いている。宇宙旅行の航路は年々滑らかになり、寄り道を減らして今日の自分に帰ってくる。それがいいことか悪いことかはわからない。

 

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