海は潜っても海のまま
一体何を持ったらしあわせを認めてくれるんだろうね。結局自分で自分をどうにかするしかないのはわかっていて、欲しいものについて考えている。
この1年、本当に僕はよく頑張ったと思う。頑張ったと思う。しかしそれは誰にも伝わりそうにないことがわかっている。誰かと比べたら何にも頑張っていないように見えることがわかっている。この1年の努力は本当に内向きな、自分との戦いみたいなもので、外に開かれた頑張りはほとんど見せられなかった。気付けば最近は動画も作らず、銘々と実損のほうのブログも書かず、facebookに何も投稿せず、具体的な成果物はまったく残していない。成果物がないと、指標がないと、どれだけ頑張ったかを評価してもらうのは難しい。この1年を認めてくれる人や物はどこにもないんじゃないかってわかっている。
2年連続で内定式のない4年生となりました。それに対して何にも思ってないわけじゃないけれど、どうにか挽回する手段を取ることのできない自分がいる。最近はバイトをまた始めました。完全に心をぶっ壊して何も出来なくなった状態から、週5日働けるようになるまでに回復できて結構うれしい。うれしいとともに、前のバイト先にすごく迷惑をかけてしまったことを思い出して悲しくなる。あの時はああするしかなかったんだ、みたいなことを、今になって本当に悔しいと思う。
動物園の年間パスポートが期限切れになって、本当に1年が経ったんだという実感が湧いた。誰かにとっては停滞あるいは衰退あるいは没落あるいは劣化あるいは逃亡、そんな1年でも、たまには自分なりの尺度で言い訳させてほしい気持ちになる。甘いな。もう許してほしい。本当に甘いな。ちゃんと大学行くからさ、前期は単位も取ったし、丁寧に生活するから、取り戻せないものは諦めるから、そろそろしあわせを認められる何かを持つことを許してほしい。
許されるための努力の可視化、泥濘からの脱出。自分との戦いだなんて、ただの消耗じゃないか。これを正当化しなきゃいけない今の自分は厳しいな。いろんな力が必要だ。動力源は何。