そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

捉え直す

最近の僕は日常の捉え直しをしている。言い換えれば再認識である。

自分は元から出来ないことが多かったけれど、体調を崩したことでさらに出来ないことが増えた。昔なら出来たことも難しくなった。けれど、自分の可能性が狭まるにつれて、少しずつ生きやすくなってきたように思う。

かつてなら、「どうしてこんなことも出来ないんだろう」と思い悩んだり、怒りを覚えてしまっていた。けれど今は、病気のせいとか、環境のせいとか、自分ではどうしようもない要因を簡単に探し出せるようになった。それはそれで悲しみを引き起こすこともあるけれど、矢印が全て自分に向くよりはいくぶん健康的なことだ、と思う。

自分がこうなってから、たくさんの価値観、性質、考え方に触れられるようになった。それを「多様性」と括ってしまえば陳腐になるほど、ひとりひとりが異なる背景や視点を持って暮らしている。全部を受容したり肯定したりすることは難しいけれど、自分とは異なる眼差しに触れるたびに、僕は僕から見る世界をまた捉え直す。その行為を決して「アップデート」とは呼びたくない。というのは気持ちの問題なのか言葉の問題なのかわからないし、だいたい似たようなものかもしれない。

恋人と歩いていると、植物の名前をよく教えてくれる。僕がただの草や花だと思っていたものにも名前があって、その名前を知っている人がいる。恋人は花の蜜を吸ってみせて、こちらを振り向く。ほんのそれだけで僕の世界はまた少し変わっていく。