そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

ずっと低速で悩んでいる

インプットに対してアウトプットが足らなすぎるという課題を自分の中に見つけたので積極的なアウトプットを心掛けたい。簡単に言うと、ラジオ聴くばかりで自分はどんどん喋るの下手になってない?とか、本を読むばかりで自分はどんどん書くの下手になってない?ということです。

喋れないし書けない。そうなる理由はおそらく恐怖心にある。自分より面白い人がいる。自分より詳しい人がいる。自分が何かをしなくても誰かがより素晴らしいものを生み出してくれる。そういう気持ちになったとき、自分が何かを行うのは怖くなる。頭に浮かぶのは他者からの否定の言葉だ。間違ってる、面白くない、下手くそだ。でもこの場合の「他者」とは実在しておらず、自分の頭の中で発せられる声である。

受け手としての目が肥えすぎてしまうと発信者になったときの自分へのジャッジが厳しくなる。これは単に創作活動に限らず、仕事上でも「自分より他の人がやった方がいいもんな」という気持ちを呼び起こしやすくなる。受動的でいればいるほどに能動性を失っていく。このループに一度ハマってしまうと、自己肯定感が低くなり続けてしまう。

インターネットの普及で誰もが発信できる時代になった。2000年代は様々な素人たちによるコンテンツがインターネット上に溢れていた。私たちは無料でさまざまな文章や動画を見た。面白いものもそうでないものもたくさんあった。それから暫くして、プロの製作物ですらインターネット上で楽しめる時代に突入した。サブスクリプションの普及やTverradikoのサービス開始、そしてインターネット上でマネタイズできるWEBマガジンなどの登場で、制作費のかかった映画、話題のテレビ、芸人さんの作るYouTube、面白いラジオ、文筆家のエッセイ、その他あらゆるものが、時間と場所の制限なく見られるようになったのはここ最近のことである。

10代の頃、玉石混合のコンテンツを見て、自分も何か作る人になれるかもと思っていた。ブログを書いたら読んでくれる人がいた。動画を作ったら見てくれる人がいた。それが本当に嬉しかった。しかし今、インターネット上には「もっとすばらしいもの」が溢れている。可処分時間の奪い合いの中で、誰が自分の書いたものを読むというのか。そう思わずにはいられない。まず、自分が書いている時間があったら、誰かが作ったものを読んでいたほうが楽しい。そんな風に思えて、自分はどんどん作らなくなっていった。

製作物の面白さとは、発想と努力とこれまでの蓄積の掛け合わせであると思う。どれか一つが飛び抜けていれば面白いものは作れるけれど、3要素がすべて高得点であるものには敵わない。ずっと文章をがんばって書いてきた人は、その分の蓄積によって技術が上がっている。なんなら発想力も鍛えられているし、努力のやり方も学んでいる。蓄積がすべてを決めるとは言わないが、大事なのは今までどれだけやってきたかだよなと思うことが多い。

1日4000字書くぞ、とか、毎日5分でもいいからラジオ録るぞ、とか。そういう積み重ねが自分の人生には足らなかった。足らなかったというか、やろうとしなかった。プロになりたいわけではなかったから。明確な目標を持てなかったことで、継続や蓄積のない人生がぼんやりと続いている。やらなかったからやらなくなっている。でも、別に今から始めても問題はないんだけど。

ここ最近、自分の人間性の面での「良くなさ」と向き合わざるを得ない出来事が続いて本当に落ち込んでいる。気が利かない、人を思いやれない、人の目を見て話せない、咄嗟に誰かを守れない、周りに気を遣わせてしまう、サボりぐせがひどい、と簡単に自分で列挙できる部分はまだ良くて、自覚していない「良くなさ」がたくさんあることに対してひどく落ち込んでいる。少しずつ良い人間になろうとしているはずなのに全然届かない。できるべきことができない。

何も積み重ねられず、何も手にしていない人生。今からどうにかして変えられる可能性はあるけれど、やらなきゃ何も始まらない。そもそも何を「やる」べきなのかがわからない。どうやったら良い人になれるんだろう。どうやったら仕事できるようになれるんだろう。どうやったら面白い文章が書けるようになるんだろう。わからないんじゃなくてやらないだけ。現状維持を選んだのは自分。

自分の話が多すぎる。要するに時間が有り余っていて没頭できる何かを見つけられていないということだ。ぼんやりしていると日々は呆気なく過ぎていく。資格勉強を再開するとか、人とたくさん会うとか、そういうことをやっていきたい。この街に住んで一年経つのにまだ友人がいない。どうかと思う。

ひとりでいることが多いからひとりで生きるのが好きなのかもと思っていたけど、「ひとりになる」のが得意なだけで「ひとりでいる」のは得意ではなかった。誰かといたい。他者の雰囲気を感じていたい。人と繋がりたい。ひとりの時はすごく落ち込んでしまう。コールセンターの仕事は絶対にひとりになることがないから良かったんだと思う。営業はよくひとりになる。孤独になる。そうなると急に怖くなる。

誰かといたいのに人と仲良くなるのが苦手で、すぐにひとりになってしまう。そのあたりの問題もまた自分を落ち込ませてしまう。誰かがいないと生きていけないのに誰かを拒絶してしまう。深刻なバグ。ひとりになるとすぐ自分の悪いところのことをずっと考えてしまうし、誰かとしても人と繋がることの苦手さのことを思って辛くなってしまう。

自分のことばかり考えているので他者を思い遣る行為をするのに時間がかかってしまう。最優先はいつも自分。そして他者を不快にさせて自分が落ち込むのループ。育ち損なった。こんなこと書いている時間があるなら目の前の人を大切にすることから始めたほうが絶対良い。そうやって書かなくなっていき、何も作れないし目の前の人も大切にできない人が出来上がっている。

書くよりも話すほうが速い。人々は思考の整理を書くのではなくて話すことで行ってきた。誰かとひたすら会話することによって思考を積み上げて自分の悩みを解消してきた。要するに、誰かと会話する機会が減れば減るほど、自分の中での思考の整理の速度が遅くなり、かつ自分の中だけの問題を処理するようになり、どんどん精神を蝕まれていくのではないか。自分が苦しいのは、人と話さずに書くことで何かを乗りこえようとしているからではないか。タイピングのスピードを超える思考にはならないから、ずっと低速で悩んでいる。

だから、喋ることで解決したい。そのためのラジオを始めたい。ここまで書いたことはだいたい五分で話せることだった。それを書くのに一時間以上かかっている。喋ろう。今の自分にできることはこれだ。

青春にしては長すぎる | stand.fm

ということでラジオをはじめました。番組タイトルは『青春にしては長すぎる』です。昔つくった短歌から引用しました。エンタメの話とメンタルの話をします。