そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

まだ

沿岸に住む人の日記にこんなことが書いてあった。

「この町はまだ復興の途上です、とメディアで言うけれど、一年に一回だけやってきて、まだ、なんて言われると、すごく悲しい気分になる」

 

もう、とも、まだ、とも言えないような日々だ。区切ることができないまま流れてしまうから、一年に一度だけ震災についての思いをブログを書くようにしている。それが正解かはわからない。自分の中ではずっとあの出来事から地続きで、東日本大震災があった人生で、この思いは誰かに強制するようなものでも、されるようなものでもない。

海へ気軽に行けない街に引っ越してきてから、初めての三月だった。海が見たいと思った時には間に合わない時間になっていたから、代わりに川を見ることにした。海のある方角を向くのではなくて、川の流れる方を向いて黙祷をした。水は海に向かって流れる。本来は。

辛かったのは3月11日だけじゃなかった。それぞれに悲しい日があった。黙祷のためのサイレンは一分間で終わった。それよりも長く揺れ続けていたということ。「あの日」が3月11日だけを指す言葉じゃないということ。最初に揺れてから何度も揺れ続け、雪が降り、波が来て、炎が来て、夜が来て、爆発が来て、そのことを後からニュースで知って、スーパーに並んで、海を見て、四日経って友人から安否を知らせるメールが来て、電気が来て、だから、一分間の黙祷じゃ全然足りない。何に祈りを捧げていいのかもわからない。死者に?街に?自分に?未来に?過去に?

黙祷が終わると、近くで追悼式典をやっていた会場から「ありがとうございました」とアナウンスがあった。ありがとうって、何に対して?その会場にあった灯籠に「ファイト」と書いてあった。誰に対して?

震災を許せないこと。今を楽しく暮らすこと。あの日に祈りを捧げること。式典に疑問を抱くこと。少し海に遠い街の中心を流れるこの川は、北上川に通じている。この川の水はこれから長い長い道のりを辿って、色んな川と合流して、大川小学校のあった場所まで通じている。

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