そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

実家に帰らせていただきます

「実家に帰らせていただきます」という言葉がなんとなく好きだ。この言葉は夫婦間の喧嘩の末に妻が最後に発する言葉として認知されている。その言葉が発せられる際の深刻さを見逃すことはしたくないものの、一方で「実家に帰る」というのは夫婦喧嘩がなくとも起こり得る事象で、世間一般的なイメージである深刻な状況と、個人の単なる帰省とのギャップがなんだか面白いと思う。実家を離れて暮らしている自分もときどき「実家に帰る」から、そのたびに「実家に帰らせていただきます」と心の中で発する。

この週末は実家に帰ることにした。同居人が東京出張で一週間ほど家を空けるため、自分もどこかに行こうかなと思ったときに、「仙台に住む友人からライフイベントに関する報せが来た」「北東北発 仙台週末フリー乗車券が今年3月で終売になるニュースを見た」「仙台に住む友人夫婦のお子様の写真をインスタで見たら会いたくなった」などが重なり、何かが3つ以上重なったら運命だと思い込むマイルールを発動させて、鈍行列車で盛岡から仙台に帰省することを決めた。単純に両親に会いたいという気持ちもあった。

「北東北発 仙台週末フリー乗車券」は盛岡などの北東北の駅から仙台までの往復乗車券で、新幹線に乗るには別料金で特急券を買わなければいけない。特急券を購入して新幹線に乗ってもいいのだけれど、せっかくだから鈍行列車で仙台まで行くことにした。

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大学生の頃に何度か鉄道の旅をした。新幹線だと速すぎて、徒歩や自転車だと遅すぎる。在来線の速度はちょうどよかった。自分が自分の形のままで移動できる感覚があった。そのときの感覚が忘れられなくて、社会人になってからも頻繁に鉄道の旅に出掛ける。旅といっても、目的地のない大回り乗車をするだけのときもある。

大回り乗車とは、ある特定の区間では実際に乗車したルートに関わらず最も安くなるルートの運賃で乗車できるというJRのルールのことで、具体的に言うと仙台から南に一駅の長町駅まで行くときに、仙台→小牛田→新庄→山形→福島→白石→長町、というように極端に遠回りをしても190円で乗車できる(ただし途中下車はできないし、ホームから出られない)。大回り乗車をする日は、早く起きて駅のニューデイズで食料を買い込んで鉄道に乗って、ただただ読書をする。

鉄道に乗りながら本を読む時間がたまらなく好きだ。驚くほどにするすると本が読める。走行音が絶妙なホワイトノイズとなって集中力を高められる。東北の鉄道はだいたい空いているので、周りを気にせずどんどんと読み進められる。読書のためにある空間だと思ってしまうくらいだ。鉄道の速度と読書の速度がぴったり合い、肉体的にも精神的にも遠くへと連れて行ってくれる。

今回は上間陽子さんの『裸足で逃げる』『海をあげる』の2冊を盛岡から仙台の間で読んだ。『裸足で逃げる』は沖縄で未成年の女性の支援・調査にかかわる上間陽子さんが、その活動の中で出会った夜の街で働く若い女性に寄り添い、聞き取りを続けたものをまとめた本だ。出てくる女性たちの多くは未成年のうちに子どもを出産したシングルマザーで、実家にいる家族やパートナーから暴力を受けた経験があり、同じ街の中で居場所を転々としながらもなんとか命を繋ぎ、夜の仕事で生計を立てようとしている。

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この本に書かれたような現実があるということを、僕たちは暮らしの中で見ないようにすることもできるし、ないものとして扱ってしまうことも、ともすれば差別する側、消費する側、加害の側に回ってしまうこともある。だからこそ、こうした現実があるということを「知る」ことが大事なんじゃないかと思っている。なかったことにしない。もちろん、知ることだけでは何も解決しない。しかし、知ることは、途方もなく長い道のりの第一歩になる。

『裸足で逃げる』から3年後に出版された『海をあげる』は、著者の上間陽子さんが自らの声にも向き合いながら書かれた本だ。沖縄に暮らす上間陽子さんが、外からは穏やかなリゾート地として見える沖縄の内部で起こる、貧困と暴力の中での若者の暮らしや、米軍基地の近くで暮らすことなどを扱う。その土地の「当たり前」「普通」として描かれる現実があまりに痛切で、強烈で、そのどうしようもなさに途方に暮れてしまいそうにもなる。

皆が感覚として持っている「普通」は他の誰とも異なっていて、暮らす土地や生育環境、職場、身体条件、性別、その他ありとあらゆるものによって形作られる。そんな当然のことを僕たちはよく忘れてしまう。今日も誰かの「普通」によって誰かの「普通」が侵されていく。語るべき言葉を奪われていく。先ほど、「知ることは、途方もなく長い道のりの第一歩になる」と書いたが、自分がそう思いたいだけで、その一歩で誰かのことを踏み付けてしまうこともある。

実家に帰らせていただきます。その言葉を、平和で楽しいことのように扱っている自分がいる。同じ地平に、実家が決して安全な場所では無い人、実家がそもそも無い人、帰りたくないのにそこに住まわざるを得ない人がいる。僕はこれからもすべてを引き受けることはできない。この世界が誰にとってもより良くなるように、まずは自分の家族のことを喜ばせたくて、ケーキを買って実家に帰る。そんなことじゃ全然足りなくても、今の自分にできることのひとつは、ケーキを買って実家に帰ることだ。

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