そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

ハイライト

 

スタバでもドトールでも、タリーズでもベローチェでもない、けれどもどうやらチェーン店らしいカフェに、藤岡さんと入った。藤岡さんは1番大きなサイズのアイスコーヒーを頼んでいた。

「そんなにたくさん飲んだらお腹壊しませんか」

「豆がね」

「えっ」

「このお店は豆がいいんだよ。だから、普通の2倍は飲めるね」

「そうですか」

豆にこだわりがあるのなら、もっとこう、格調高そうなコーヒー専門店とかに行ったほうがいいんじゃないのかな。寡黙な白髪交じりのマスターが1人でやっているような、ジャズが似合う渋いお店に連れてってくれたらいいのに。

藤岡さんは見たことないくらい大きな紙のカップを店員さんから受け取ると、あそこにしましょう、と窓際の席を指差した。チョコと抹茶が入ったやたら長い名前の飲み物を頼んで、藤岡さんの向かいに座った。

 

「君に名前をつけてあげよう」

「わたしの、名前ですか」

「うん。名付け親になってあげる」

「もう名前ありますよ、ひかりって言うんですけど」

私の名前は「ひかり」という。7月の、太陽がとても眩しい昼に産まれたので、ひかり。あまり嫌いじゃない。かわいらしくて良い響きだと思う。でも、明るく太陽のように育って欲しいという両親の願いを叶えることはできなかった。私は太陽にはなれなかった。静かで、暗くて、自分の意見を主張することも、場を盛り上げることもできない。私はせいぜい、ろうそくぐらいの明るさだと思う。少しのことで消えてしまいそうになる。誰かの手元を照らすので精一杯だ。

 

「そうじゃなくて、漢字をね。ひかりさん名前ひらがなだから」

「ああ、はい」

「どの漢字がいいかなあ、あっ、この紙借りるね」

藤岡さんは内ポケットからボールペンを取り出すと、紙ナプキンに小さく「ひかり」と書いて、その周りにたくさんの「私の名前候補」を書いた。

「ひかりさんは、光、っていうタイプではないと思うんだよね」

「私もそう思います」

「もっと上品で、それから…」

 

私はずっとこの名前で生きてきた。似合わない名前だけれど、クラスメイトからはずっと名字で呼ばれていたけれど、私はひかりだ。

ずっと苦しかった。私は私以外になれないのと同時に、私の名前のようにもなれない。いつかは名字も変わってしまうとしたら、自分には何が残るんだろうと考えていた。

藤岡さんは、出会った頃から私を下の名前で呼んでくれた。背が高くて、優しくて、だけど時々、すごく不思議なことを考えている人だ。そういえば私は藤岡さんの名前を知らない。きっと、どんな名前でも似合うんだろうな。

 

少しの間考え込んでいた藤岡さんは、ふと思いついたように紙ナプキンに何か書くと、これにしよう、と言って満足そうな顔をした。そして、せっかくの名前だから新しい紙に書いてあげよう、と、立ち上がって紙ナプキンをひとつ取ってきた。

「いい名前になったよ」

内ポケットから筆ペンを取り出すと、まるで本当に我が子に名前をつけるときみたいな顔をしながら書いてくれた。

「今日から、ひかりさんは、陽佳莉さんね」

変な名前。でも、目の前の人がこんなに真剣に、私の名前について考えてくれるのは嬉しかった。わたしはひかりだし、陽佳莉でもあるような気がした。藤岡さんはまだたっぷり残っているコーヒーを飲んで、ここのはやっぱり豆が違うなあ、と言った。

「なんていう豆なんですか」

「わかんない。けど、本当においしいな」

本当においしいですね、と言って、私は紙ナプキンに書かれている文字をもう一度見た。綺麗な字だった。私はこの人のためなら、何にだってなれるかもしれない。