そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

モンタージュ・エイジ part3

 

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アーケードのど真ん中にできた、携帯会社が運営するよくわからないカフェに、友だちの友だち、くらいの関係性だった人と行った。「絶対に面白くするので会いましょう」とか言って誘い出した気がする。

素敵な人だった。ホットの紅茶が熱くて、いつまでも飲めなかったから、冷めるまで話そうと思った。結局、冷めて、飲み干して、セルフサービスのお水を何杯か飲み干すまでゆっくり話した。

 

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話題のパンケーキ屋が去年ファッションビルの中にオープンした。すごく行きたかったけれど、男が1人で飛び込めるわけもなく、さらに男2人で入るのも気が引ける。と思って後輩の女の子を誘った。

「幸せのパンケーキ」という名前のそれを食べながら、しあわせってなんですかね?という話を、なるべく答えから遠ざかるようにして話した。

しあわせとはスフレパンケーキを食べること、しあわせとは友人のためにネックレスを選ぶこと、しあわせとは誰かの憎しみがすこしずつ薄まる過程を見守ること、しあわせとは。

 

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初詣に行かなかった僕は、今年初めてのおみくじを肉寿司のお店で引いた。凶だった。なんかずっとそんな気がしていた。

一緒に肉寿司を食べた人に、『東京タラレバ娘』を借りて、『A子さんの恋人』を貸した。肉寿司は美味しかった。食べたことのない味がした。

 

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逡巡と躊躇は違う、ということを思い出す。逡巡はどうしたらいいか迷っている状態のことで、躊躇はどうしたらいいかはわかっているけれど踏み出せない状態のこと、らしい。

僕はどうしたらいいか、自分でわかっているかどうかすらわからない。継ぎ接ぎだらけの日々が通り過ぎるたびに焦る。焦げていく網膜にいよいよ映らなくなる色がきっとある。運命が運命じゃなくなるまで使い果たしてしまったみたいだ。