そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

靄靄

 

疲れていればいるほどに脈拍を感じるのはなんとなくうれしい。膝の関節が波打って、止まったら歩けないだろう道をずんずんと進む。どうやら、先輩の家に向かっている。深夜3時。

あそこの角のラーメン屋は潰れてしまって、あの交差点を右に曲がると昔の恋人の家があって、スーパーの隣のたい焼き屋さんが建て替えられて進学塾になっていて、同じ場所なのに、随分遠くまで来たものだと思った。みんなはどこに行ったのだろうか。酩酊に終止符を打てぬいろはす555ml。飲み切る速度の永遠。誰も通らない旧国道48号線。

僕は僕の喪失に思いを馳せながら、失ったものの代わりに手にしたもの、かろうじて残ったもの、至近にある銘々を愛しく思った。雨上がりの道は靄がかかり、すうっと光が浮き上がって、脈絡はないけれど、こんな人生で良かったと思った。同時にちょっと寂しかった。こんな日は。昔だったらどうしていたかを思い起こしそうになって、やめた。色々あるんだよ!と叫び出しそうな十代から二十代前半は僕にもあったし、他の人にもあったし、そんな色々をいつからか引き出さなくなって、気付いたら残高も無くなっているようなエモーショナルの切れ端を中途半端に浪費するのが今だと思う。

非共有の景色がどんどん減っている。要因はテクノロジーの発達なのか、加齢によるものなのか、いずれにしても僕だけで僕を語ることはもう難しい。皆があの夏の「あの」だけで浮かび上がる共通世界があるのなら、それでいい。次はキャンプしたいな、って笑い合った。それもいつかあの夏になってくれるはずだ。転がり込んだ先輩の家ですぐ眠り込んだ。

起きたら家主はまだ寝ていて、もう1人の先輩はもう家を出ていた。朝の旧国道48号線は渋滞していて、バスには乗らずにゆっくりと歩いた。かつて何度もこの道を歩いたことを、もうつぶさには思い出せなくなっている。過不足なく発信される銘々の周波を拾って、クラウド化されない昨日に振り向けば、陽炎がまたひとつ思い出を歪ませている。