そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

出来心と猜疑心

 

このブログは、もう生きるのやめよう、と本気で思った時に始めた。

このままじゃいけない、このままじゃだめになる、と思いながらも気持ちがどうにもついて行かず、地を這うような日々を誤魔化そうと、色んなことをした。生活は荒れた。今までやってなかったことをやった。全部他人事みたいだ。もう全て忘れた。

生きるのやめるのやめよう、と思うような決定的な出来事は無かったけれど、このまま社会人にはなれないとも感じていた。どうやったら生きられるのか、どうやったら前を向けるのかを考えた。去年の10月に僕の人生は終わったと思ったし、人生だったって思っていた。もうひとつあるのなら、それは間違いなくIF I AMだった。

24時間配信を成功させること。そしてIF I AMを良い状態に戻すこと。いつの間にか、大きな目標というか、生きる理由になってしまう。でもそうじゃないと走れないしさ、そのくらいさせて欲しかった。勝手に。勝手だ。勝手すぎて嫌になる。

やれることは全部やった。その上で、守れなかったものが1つだけあった。残せなかった人が1人だけいた。そのことがどうしようもなく虚しい。自分の力不足でしかない。繰り返してしまう。自分には何にもできない!それでも何か出来ると信じて走り出したこの半年をすべてリセットしそうになるくらいには、最高の8人を守れなかった事実が重い。

もう何も残っていない、と言うのは大袈裟だと思う。大好きな後輩と、大好きな場所と、大好きな映像と、大好きな先輩と、そうやって恵まれすぎるだけ恵まれて、だけどさ、にしても、なんでこんなにうまくいかないんだろう、なんでこんなに失敗ばかりしてしまうんだろう、もう生きるのやめるのやめるのやめたい。

人生は続いてしまうだろう。僕に決心をさせない限り。決心をするより、新しい何かを見つけるほうが簡単な気がする。見つかってもすぐ傷付けるでしょ?と言われたらそこで全てが終わる!何も出来なさすぎて怖い。もっと普通で平凡で淡々と生きたかった、生き方の道幅はどんどん狭くなってさっきサイドミラーまた擦った。

それでどうなった?聞くなよ。