そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

9月4日

 

ブログを書いてると、読んでくれた人から「大丈夫?元気?」ってよく聞かれるけど、だいたいは元気です。ちょーたのしい!しあわせ!って時にどういう文章を書いていいかわからないもので。もちろん元気じゃない時もあります。そういう時はだいたい支離滅裂な文章を書いている傾向にあります。

2.3 - そこが海ではないとして

これとか最たる例じゃないでしょうか。今読んでも、この日付近に何があったのかよくわかりません。他の人からしたら全くわからないと思います。わからなくするために書いている節があります。今みたいに、読み手をある程度意識して書いていたり、改行をしていたり、思考の飛躍が見られなかったりするのならば、それは元気な証拠だと思ってもらって構いません。

家から駅までの20分と、電車を待っている数分、そして電車に乗っている10分を使ってこれを書いています。今日は駅に着くと同時に電車が来たので使える時間は少し減っていて、大急ぎで何かに間に合わせなくては、という気持ちです。間に合わせなくてもこれは日記であり適当な文章なので、ペナルティーもなく続いていきます。無責任な人間にとっては非常に都合のいいツールです。

この日記にはほとんど自分以外の登場人物が出てくることがなくて、つまり完全なる僕の独白、モノローグなわけですが、もう少し他人に興味を持って、他人の心情も掬って、何かを綴った方がいいような気もしています。気を抜けば自分だけで埋まってしまうのです。電車の中には本当にいろいろな人がいます。もっと注意を払わなくてはいけないのかもしれません。

仙台は、ほとんどの人間が終点に向かっていて、そこで降りる、みたいな街です。行き先が同じだから、少しは心の内側が見えるような下り列車です。この街に22年住んでいるのに、行き交う人の中に誰も知った顔がなくて、おみやげ売場に行けば異邦人みたいな扱いで、このチーズ入りのかまぼこが美味しいんだよ、って教えられます。いつかこの街を離れたときに、この街の良さを痛いくらい思い出すことになるはずで、今は少しだけそれが楽しみです。