そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

部屋の掃除をしていたらだんだんとエモくなってくるあの感じに名前つけたい

 

ふと気付くと部屋掃除ではなく模様替えと表現した方が適切な状態だ。30リットルも入るゴミ袋がいつもパンパンになる。ひとまず床に様々なものを仮置きする。そこに広がるのは過去の生活の化石みたいなもので、考古学者と化した僕がたくさんの記憶を掘り当てていく。

2年前に受けていた講義のプリントの山、メモ用紙に使おうと取っておいた無地のB4紙、遠い地にあるショッピングモールのフロアマップなどをゴミ袋に乱暴に放り投げ、小学生の時に作ったジグソーパズルの収納場所に悩み、開いた戸棚の中から無数の手紙を見つける。

人から貰った手紙を取って置いている。捨てられないのではなく、捨てる必要がないと思っている。何年も前のもある。最近のもある。たまに読み返しているのか、年代はバラバラの、デタラメな地層が出来上がっている。適当に数枚を選んで、目を通す。僕と大切な誰かとの生活がそこにはある。それと同時に、この手紙のほとんどの送り主とは、今の生活において関わりがないことにも気付いてしまう。

大切に出来なかった人や物がある。もうすぐ23歳になるけれど、どちらかというと守れなかった関係性のほうがあまりに多くて悲しくなる。その人達にしてきたことは、自分でもひどいものだと思う。それでいてどうしてか今は幸せに暮らしていて、大切な物がいくつもある。

思い出を引き摺ってしまっても何も良いことはない。今は今を大切にしなくては。こう書くと、何か言い訳のように感じられるだろうか。過去をいつでも取り出せる場所に保管して、たまに一人で読み返す。手紙に書いていないことまで蘇る。写真や手紙には良い時のことしか残っていないから、どんどん都合の悪いことを忘れていくんだろう。

幸せだったってことにしちゃ駄目だとわかってる。だからこれから幸せになろうねみんな。

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また秋が来る。大好きで、少しだけ怖い秋。