そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

夢を見すぎている男

 

僕は夢を見すぎている。比喩ではなく、寝ている間に見る夢のことである。とにかく眠りが浅いのだ。

一晩でだいたい6個くらいの夢を見る。あれ、夢って個数で数えるんだっけ。たぶん違う。読んでいる方には伝わらないかもしれないが、自分としては「回」で数えたい。夢のレイトショー、怒涛の6回連続上映。なお毎晩。多いときは驚愕の8回連続上映。そう表現しておきたい。

夜な夜な、ひたすらに夢を見る。あまりにも数が多いので、ほとんどすぐに忘れてしまう。ノートに夢を書き留めてみようと思ったこともあったが(夢日記とかいうやつですね)、その夜のことを記録するだけで20分くらい費やしてしまうほどにボリュームがある。多忙な朝に呑気にやってられるものではないので、すぐにやめた。

最近とても困ったことがある。

ふと思い出した出来事が、現実でのことなのか、夢で上映されたことなのか、すぐに判断できない、という瞬間が増えてきたのだ。

例えば、「財布の中に500円玉が8つも入ってる」という夢を見たとする。というか実際に見た。俺はなんて小銭の使い方が下手なんだ!と絶望した。目覚めて、夢だと気が付くと安堵した。良かった、俺はちゃんと小銭を使える男だ。しかし、数日後に買い物に行ったとき、「確か、財布の中にたくさん500円玉があったな」とレジの前で探してしまう。

「1400円になります」「あっ…ちょっと待ってくださいね」(あれ、大量の500円玉どこだ…まだ使ってないはず…あっ、あれは夢の中の話か!)「すみません1万円からでお願いします」

こんなとき、自分がひどく情けなくなる。俺はいよいよ夢と現実の判別もつかないほどおかしくなってしまったのか。ついでに1万円を崩してしまう悲しみにも襲われる。出来るだけ1万円札は崩さずに生活したい。

さらに困ったことに、それが本当に夢の中での出来事だったかもわからなくなってきている。

現実の僕が「これは夢だな」と認識しているものは、実際に睡眠中に見た夢そのもの、ではなく、空想上の夢、なのではないだろうか。

おや、ますますややこしくなってきましたね。

要するに、「夢でも現実でもないもの」を「夢として認識」しているのではないか。現実には起こってはいないけど、なんだか心当たりがあることをすべて、「夢」と捉えるようになっている気がしてならない。

自分が「夢を見すぎていること」を、冒頭で「事実」として扱ったが、これに関しても、もしかしたら自分の空想が作り出した、夢でも現実でもないもの、なのかもしれない。

なぜなら、それが夢であったかどうかの証明が出来ないからだ。同じ夢は2度と見ることができず、ベッドから出ればどんどん忘れゆくものである。本当の俺は夢など見ておらず、夢をたくさん見る、という空想上の設定で生活しているのではないか。

いわば、現実と夢と空想を行き来し過ぎて、自分がどこにいるかわからない状態になっている。安いSF小説のようだ。極端な話、自分が現実で何かをしたつもりになっているのに(たとえばメールの返信)、それは空想もしくは夢の中の出来事であって、現実世界では既読スルーを決め込んでることだってある。迷惑だ。困った。さて、この文章は、どの状態の自分が書いたのでしょうね。