そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

big shout it out!

 

何を書いても嘘になりそうな時期が自分の中には確実にあって、それが今だ。文章を書くことも、何か行動をすることも、とにかく何もしたくなくなってしまう。

これを書くのも嫌になりながら書いている。全部嫌だ。全部嫌。

 

自分をポジティブな方向に歩かせなくちゃいけない。だけれど今、現実から自分を逃すのに精一杯で、立ち向かうこともできなければ、逃げた先でどうしたらいいのかも考えられない。

そもそも、「〜しなくちゃいけない」という思考になったとき、自分はひどく追い込まれていることがわかる。本当は、何をしたって良いし、なんでも出来るはずなのに、狭い狭い選択肢や眼前のことに拘泥しすぎてしまっている。

 

何をしたらいいのかわからない。自分をよく知っている誰かと話がしたい。けれども、たくさんの人に会えば、みんな別々のことを言う。ますますわからなくなる。

 

自分はこういう、簡単な言葉でいえば「病み」の時期を何度もくぐり抜けて生きてきた。それなのに、どうやったらここから早く抜け出せるかということが全くわかってない。今までどうやって来たんでしたっけ。

ただただ布団の中で、夜が明けるのを待てば良いのか。それとも部屋から出て、遠くへ行けばいいのか。大好きな音楽も、お笑いも、サッカーも、小説も、自分を満足させてくれない。

 

わかっている。これは気の持ちようだ。僕が楽しいと言えば楽しい、僕が辛いと言えば辛い、そういう簡単なことだ。いやいや、もっと複雑ですよ、と思うかもしれない。違う。複雑であって欲しいだけなんだ。自分の悩みが、大きくて、複雑で、他の人々にも影響を与えるようなものであって欲しいだけだ。驕りだ。

楽しいと言えば良い。笑って過ごせば良い。そんな簡単なことが、今は、出来ない。

 

年末から年始にかけて、本当に楽しい日々を過ごした。いや、11月からずっと楽しかった。そろそろ楽しくない時期が来てもいいだろう、みたいな、調整の時期なのかもしれない。僕は「楽しい」のあとには「悲しい」が絶対にあると思ってしまうから、調整のためにものすごく「悲しい」日々がそろそろ必要だと思ってしまったのかもしれない。

だとしたら、本当に困る。11月からの僕は人生で1番くらいに楽しかった。これから、人生で1番くらいに悲しくて辛い日々がやって来るような気がする。

 

僕の楽しさは、他の人を不幸にする楽しさなのだ。人への優しさをほとんど持っていない。悪い人間だ。僕が不幸せな間に、他の人たちは幸せになれるのだから、率先して不幸になろうと思う。そういう卑下がまた自分をつまらなくしてしまう!怖い!僕は僕を操れないのが怖いんだ、幸せになればなるほど怖いんだ、人を無意識に傷付け、人の仕事を増やし、人のストレスを増やし、どんどん周りを不幸せにするこの連鎖、全部こわい!

こうやっている間もずっと自分のことしか考えていない。自分を先に考えてしまう悪い癖が出てしまっている。もっと自由に、もっと肯定的に生きられないものでしょうか。

 

あーーー!俺は本当はこんなことを言いたいんじゃないし書きたいんじゃないんだ、みたいなことをずっと書いている。わかってる、わかってる、もっと良い方法があるってこと、自分を卑下してネガティヴになっても良いことがないってこと、わかってる、わかってるけど、ずっと自分を騙し続けて、他人も傷付け続けて、生きていくしかないのか???

「君がそういう不幸なフリをしても、誰も幸せにならない」とか「君が悲しそうにしていることを、誰かも悲しく思っているよ」とか言われましても、僕が幸せなときこそ、誰かは不幸になってしまうのが事実としてあるのだから救われない。僕は人の不幸の上に立って笑いたくない、だったら土台になる、踏み台になるから、てめーら俺を罵り笑いつつ幸せになってくれよ、

 

感情の振れ幅が意味わからないな、22歳だぞ大丈夫か

 

とにかく1つずつ、積み上げていくしかないんですよね。わかってる。こういう時に自分がどうしてたかを考えている。

温泉。旅行。衝動買い。失踪。

だいたいこんな感じ。ところが10月にもこういう時期があってめちゃくちゃ衝動買いを繰り返したせいで貯金もないんだよな。温泉を行くにも遠いし寒いし、この週末は雪だし旅行にも不向き。もう逃げられないし。

今自分がどうやったら幸せになるか全然わからない。全然わからないな。何かに縋って、その望みも絶たれてしまって、もう本当にわからないな、全部わからない、何に悩んでるんだろう。何が嫌で何が辛いんだろう。原因すらわからない。

 

猛スピードでぶっ壊れ続けている。まともなフリがうまくいかねえ!