そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

絶望しているうちはよかった

 

最近は人間不信ではありますが、ブログを書くことと、特定の場所を指定して誰かと一緒に向かうこと、これを少しずつすることでなんとか生きています。

自分がどれだけ最低な人間か、ということを重ね重ね感じるためだけに生きる日々は苦痛でしかないのですが、もう仕方がないことだと思っています。

僕が楽しいと思っていたことすべてを僕の身近にいるひとは楽しめていなかった、という衝撃に気付かされて、もう正直言うと誰かに会うのが怖い、誰かと話をするのが怖い、自分が本当につまらなくて汚くて最低だと改めて認識されるのが怖い、怖いけどこれは事実なのだから受け入れるしか方法が無く、とにかく思うのは、こうやって誰かに会わないうちにも囁かれている陰口や罵声を、「あいつのこういうとこマジ許せない」を、それすらも無くなり、誰からも矢印の向けられなくなった自分を、まあ全部忘れてくれればいいですけれど、今の自分には挽回する術も気概も無いということ、人を信じられなくなった自分をすごくすごく嘲りたい気持ち、その他病名の付かない思い、いま自分に向けられる好意すら信じられなくなっていて、どこかに逃げ出したいというよりは閉じこもりたい、そんな今日です。

 

僕はずっと「何者かになりたい」と思ってきました。演劇で賞を取る友人、会社を立ち上げた友人、武道館に立った友人、クリエイターとした独り立ちしそうな友人、カメラマンとして仕事をもらっている先輩、本当に素晴らしい小説を書く先輩、素敵な詩と文章が書ける友人の友人、彼ら彼女らをずっと、羨望の眼差し、時には嫉妬深い視線、ある時は普通に人間として接して、自分も絶対にそこに、自分の武器で追い付くのだ、とばかり思ってきました。

大学4年になって、あと少しで社会人だ、というタイミングで、自分はいつまで経っても、武器や戦い方を持っていない、比喩を使わずに言えば、大した技術や知識を持たずに生きていることに改めて気付きました。正確に言うとずっと知っていたけれど見て見ぬ振りをしてきました。こんな何もできない自分で社会に出ようとしているのかと思うと、心もとない、というより、すぐに淘汰されてしまう、ゴミクズだ、と思いました。だからこの半年、4月から9月にかけては、何かが欲しくて必死に戦ったような気がします。いや、今振り返ると、必死の振りをしていただけで、結局何も得ていないし、空っぽなゴミクズ状態は依然として解消されず、何も持たないまま、冬になろうとしています。

 

さっき、ふと思ってしまったのです。「どうして何者かになろうとしているのだろう」と、つまり、「なんで特別を求めているのだろう」と。

毎日早起きして、顔を洗って、歯を磨いて、出かけて、与えられた役割をこなして、帰ってきて、風呂に入って、早く寝る、そういう当たり前なことが一番尊いし、一番しなければならないのに、というか、特別であってもそうしなきゃいけないはずなのに、凡庸以下が何を焦って特別な光を求めているんだろう、と悲しくなりました。

半年間しか頑張ってない、いや厳密に言うと何も頑張っていない自分が結論を出すのは早すぎる、などと思うかもしれませんが、22年近く生きてきてもう、何かを諦めていい時期というか、周りはとっくに諦めて就職活動して卒業して働く時期に、自分は10代みたいなことを繰り返し繰り返し悩んでいて、相変わらずの自分の鈍さ・遅さ・ふがいなさに反吐が出そうです。

型に嵌まらない生き方に憧れてみたはいいけれど、彼らは自分の型を持っているからそれでいいわけで、どこにも行けない、社会にも適合できない、人を楽しませることも、ちゃんと愛することもない、魅力がどこにも見出せない、あったとしても欠陥で簡単に打ち消されてしまう自分が何戯言を語っちゃってんの、何勘違いしてんの、目を覚ませよクソが、って思って今はもう何もしたくありません。

 

4月からここまで、IF I AMで30本の動画を作りました。こうやって数字にすると本当に少なく思えます。全部愛しているから、願った通りの結果が出ないから、映像にごめんねってたくさん言ってやりたいです。

それからブログも結構書きました。ラッキーパンチで岡崎体育が当たって、それからどうした、って感じなんですけど、わりと書いた記事がアーティスト本人に読まれて、好意的な感想をいくつかもらえたりしたので本当に満足しています。これとか本当に嬉しかった。

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それから他にもいろいろとやったことはあるけれど、それに関しては大体が中途半端になってしまっています。自分の力が足りないせいだと強く思いますし、とにかく成し遂げられないことが多過ぎてマイナスな感情が追い付きません。

結局はずっと悩まされてきた「当たり前のことができない」に帰結すると思っていて、ちゃんと学校行く、とか、目上の人を立てる、とか、時間は守る、とか、人は傷付けない、とか、返信はすぐに返す、とか、そういう当たり前ができない繰り返しが僕を苦しめていきつつ、普通ができないなら特別になれるかもしれない、と浅はかな考えを持って逃げ続けた先の現在地の最下層の末端の末端に今立っています。

 

いつも答えはシンプルで、「当たり前なことをやれよ」「無意味なプライドを捨てろよ」「とにかく努力をしろよ」ってことで、しかしリセットするのがいつも難しく、走り出した瞬間に過去の失態に足を引き摺られ、自身の心に残る甘えに行く手を遮られ、みたいなことを書いていてさあ、書いているうちは本当に悔しいと思ってないんじゃないの?反省しているうちは悪いと思ってないんじゃないの?絶望しているうちはまだ諦められてないんじゃないの?それもこれもいつもの「そうしてる振り」なんじゃないの?

 

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