そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

わからないまま走っている

冬が近い。雪が降る地域では、車のタイヤを普通のタイヤ(いわゆる夏タイヤ)から、スタッドレスタイヤ(冬タイヤ)に交換する。以前住んでいた仙台も少ないとはいえ雪が降るので、この時期になるとオートバックスやらディーラーやらに頼んでタイヤ交換をしていた。盛岡もそろそろ雪が降るだろうから、タイヤ交換が必要だ。

「営業車のタイヤ交換ってどこに頼めばいいですか?」と先輩に聞くと、「自分でやるんだよ」と返ってきた。そ、そうか。自分でやるのか。YouTubeでやり方を学んで、その通りにやる。盛岡に住んでマニュアル車を運転して自分でタイヤ交換する人生。そんなことになるとは思っていなかったし、全部自分で選んだのだ。

 

昔から、わからないこととできないことが極端に苦手だ(それが得意なひとは少ないだろうけど、周りを見ていると自分があまりに「できない」に弱いと感じる)。なぜ苦手かというと、「わからない」「できない」は誰かに笑いものにされることと直結してしまいがちだからだ。あまり触れたくないけれど、できないことがいじめに結びついた小学生時代のことが未だに古傷になっているのかもしれない。人よりも「できない」ことが多かった自分は、できないことを隠したり言い訳したりして、必死に得意なことに逃げようとしてきた。

わからないことに遭遇したとき、幸いにもインターネットがあるから、わからないことがあったらすぐに一人で調べてきた。僕はどんどん調べるのが得意になった。僕にとって検索は逃げるための武器であった。コールセンターの仕事が天職だと思えたのは、調べれば調べるほど、知識を得れば得るほどに、問題解決に繋がること、そして調べればほとんど必要な解答が見つかるということだった。

ファーストキャリアが営業職だった。いろんなことがあって、あまりにしんどくてすぐに辞めた。世の中の仕事の多くは、相手(お客さま)のわからないことやできないことを解決することで対価が生まれる。なので比較的得意なことを仕事にすると、その解決がスムーズに進む。営業職といっても、業界や職場、上司の方針によって仕事の進め方は変わる。僕は一人で調べて正解を見つけることは得意で、誰かに相談したり聞いたりすることや、失敗しながら学んでいくことが苦手だったのだが、毎日わからないことに晒され、わからないからできなくて、できないと「なぜできないのか」と言われることの繰り返しだったことが耐えられなかった。

 

そんな自分がまた営業をやることになった。新しい土地で、営業職で、世代の違う人たちと一緒に仕事をしていると、どうしても自分が「わからない」「できない」ことが多くなる。そして、調べていては間に合わないことがたくさんある。調べることよりも実際に手を動かしてやってみることが推奨される。

たくさんの「わからない」「できない」に晒されて、正気でいられるかどうか。僕は28年かけて積み上がった苦手意識に正面から向き合うことになる。その覚悟があるかというと、正直にあるとは言えない。「わからない」と言いたくないプライドが自分の中にまだまだたくさん残っていることに気付いて悲しくなることが多い。それでも数年前よりはうまくできている、良い人間になれている、そんな感覚を信じながら、「できる」人間じゃなくて、できなさを抱えながら、愛しながら、この街で生きていくと決めた。自分で入れたタイヤで、ふかしすぎて変な音をさせた車で、今日もわからないまま走っている。