そこが海ではないとして
そこが海ではないとして、泳ぎ続ける愚かさもいつかは報われるだろうか。
たとえば濁った沼。隈なく探したところで抜け道は無い。生まれては死んでいく微々たる生命を食い繋ぎながら、自分も生態系の中で大した意味を持たないことに気付く。
たとえば水族館。誰かの手を借りなければ、生き永らえることができない。向こう側にある広くて眩しい世界を見つめていても、誰かの幸せに消費されてしまう。
どうだっていいじゃないか、とは言えない。ここがどんな場所で、どこへ向かっているのか。そんなこと僕が一番わかっている。
息が詰まっても、苦しいなんて言ってはいけないんだ。僕が飛び込んでしまったのだから。当然の報いだ。
でも、どうせ苦しいなら、泳ぎたいと思った。進みたいと思った。
あなたが僕に捧げてくれた青春が、いつか振り返った時に美しくありますように。
もしかしたら、ここは海。
ブログのタイトルが変わっても、中の人が変わらない限りは何も変わりません。ここからの変化にご期待ください。よろしくお願いします。