そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

5分の4

 

いろんなことがあった。何から書いていいのかわからない。好きなことを書こうと思う。みんなも日記を書いてね。君の口からはなかなか零れてくれない物語を知りたい。

電車に乗っている。仙台から盛岡に行く。大好きな街に行く。それだけで心が高鳴る。幸せとは。好きなものやこと、場所や人を増やしていくこと、それらを何度も何度も確認していくこと。そう思うのだけれど、どうですか。

この1週間はいろいろな旅をしていて、その度に好きな場所を増やしたり、再確認したりした。心はとても穏やかで、どこに行こうと僕は幸せになれそうな気がしている。でも、絶望から遠ざかってるわけではなく、むしろひたひたと、隠れるように迫ってきている。なんとなく知らないふりをしたいだけだ。

海が見える。東北本線は東北新幹線とは違って、松島のあたりでは海沿いを走る。窓の奥にきらめく海があって、生活の営みがある。それが当たり前じゃなくなる日もあった。だからこそ、改めて僕は海が好きになった。海を見られるのは幸せなことだ。悪いのは大きくずれてしまった断層や地殻でしかなくて、海は海自身がそうしたくてあんなことを起こしたのではないと思っている。海もまた被害者なんだと思う。穏やかな海を見ているとそう感じる。海はただ、ずっとそこにあるだけなのだから。

ゆっくり車窓を眺められる旅は幸せだ。快晴。心が躍る。写真を撮りたいけれど、隣にも人が座っている。僕はくるりを聴いている。誰もがリフレインに涙する。ひとり旅も好きだし、いろんな人と旅をするのもいい。僕は何度も僕を諦めたのだけど、好きな人や物のことは守りたいし、諦めきれない。その執念がだれかを傷つけていくことも知っている。もっとやわらかい愛が欲しいな。8割くらいの愛でいいってさ。

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間もなく、鹿島台