街が色を忘れるくらいに寒い。指先の感覚がない。できたての感情が親指を伝って文字になるまで、いつもよりだいぶ時間がかかってしまう。その間にも僕はずっと何かを考えている。
僕がいない間の人々は、僕に対して何と言っているのだろう。見ていないからどんなことだって言える。気にしないでいられる日の強さを思い出せない夜が来る。
自分が他人から見て何者なのか掴み切れない。色んなレッテルをこちら側から用意してわかりやすくする、のが得策だとすると、早めに手を打たなければならない。
誕生日あたりから心がずっと落ち着かない。どんなことを書いても裏切りになるような気がする。誰を裏切る?何を信じる?
今まで何を信じていた?どこに行こうとしている?何が欲しい?全部がわからなくなった。初めからなかったかのように、すーっと消えていった。
困ったことに、日々が楽しければ楽しいほど、このままでいいのだろうか、という気持ちを強く持ってしまう。最近はとても楽しいので、ますます迷う。
昔から、楽しければ楽しいほどに、自分の持つ理想から遠のいていく気がする。幸せになってはいけないぞ、と心の中の僕が囁く。
幸せなときは良い文章も書けない、動画も作れない、勉強もできない、早起きもできない、みたいな人生だったから。それは本当の幸せなのか?と悩むけれど、毎日誰かと会って、笑って、楽しいことばかりが起きる今を幸せと呼ばない薄情者にもなりたくないのだし。
一言でまとめると、パーティーのような楽しさと、心の充足を両立できない。僕が日常生活を謳歌しているあいだ、僕の心の中にいる誰かがずっと寂しがっている。こいつを殺せば、一生楽しいままでいられるのにな、と思ったことが何度もある。こいつは幸福と不幸のバランスをいつも取りたがる。最高の気分のあとの最低を容易く連れてきてしまう。
どっちの状態でいるのにも疲れた。真ん中がほしい。ゆるりとした幸せに浸かりたい。堕落に引き摺る悪魔が笑う。
「お前が幸せになるということは、誰かを不幸にするのだ」
自意識過剰なのだろうか。僕が不幸せなことで、成功しないことで、喜ぶ人がいて、代わりに幸せの座席に腰掛ける人がいると思ってしまうことは。それとも、みんなをまとめて幸せにすることのできない僕の弱さや怠惰だろうか。
いや、きちんと自分を幸せにできない自分の不甲斐なさを誤魔化すための言い訳に近いのかもしれない。
山の上にある大学は吹雪いていた。ここにいるこいつら全員歳下か。何ひとつ勝てる気がしないな。22歳、若さという武器をまたひとつ取り上げられて、歩く僕が震えているのは、果たして寒さだけが理由なのか。