そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

首が絞まったその後で

 

いろんなことを思い出す。思い出すけれど、形になる前に、文字になる前に、ふっと消えてしまう。諦めというわけではないけれど、それが健全な生活なのかもしれないと思っていたら、日記を書くという行為から1ヶ月も遠ざかってしまっていた。全然悪いことじゃないよな、ただ寂しいだけ。

5月の雨は芽吹いたばかりの木の葉を容赦なく叩き落とし、僕も木の葉を容赦なく踏みつけながら駅に向かっている。でもせっかくだから今朝思い出したことを丁寧に拾ってみるのもいいかもしれないと思った。日記を書こう。

 

本当によく眠れるようになった。一昨年あたりは、夜になっても様々なことを考えてしまって、すぐに覚醒してしまい、全然眠れないまま朝になって、そこから寝て起きたら夕方になっている、という生活を送っていたから、夜に眠れるということは当たり前のことなのに、本当に嬉しい。

なんの不安もなくなったわけではない。未だに悪い夢をいくつも見る。将来が何も約束されてない身であることもわかっているし、やらなきゃいけないことは山積み。でも今は、働いて、お金を得て、遅刻も欠勤もしないで、それってすごいじゃん、という気持ち。

 

いろんなことを思い出す代わりに、それはだいたいが過去形だ。どこにもいけない僕はどこにもいないし、ずっと布団から起き上がれなかった僕も今はいない。僕は今、これから、何がしたいのだろう。2年前の就活の時に武器にしていた強みもぜんぶなくなってしまった。

僕はずっと「普通じゃないこと」「変なこと」をやってきたし、それがなんらかの形で人に評価されたり、もしくは反感を買ったりもしながら、でもあいつはそういう人だよね、という立ち位置を得ていた時期があった。そういう自分を完全に押さえつけて、いまは「普通であること」「当たり前ができること」を最大の価値基準に置いて生活している。

普通が一番苦手だった。かといって秀でた才能もない。だからいまは、いろんなことを普通に、平坦に、当たり前にできるように、変わっていることを言い訳にしないように努めている。そして、自分がどんどん無くなりつつあることに気が付いている。自分を殺すことを選んだのだからそれには納得している。けれど、いざ評価される場に出た時に、自分のプラス材料は本当に何にもなく、残るのは大学を卒業し損なっていることと、色んな人を傷付けた事実があるだけ。

 

特別になりたかったわけでも、普通になりたかったわけでもない。僕は僕を殺さないでいられる方法があったんじゃないか、ってたまに考える。ぜんぶ過去形。