そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

たまには僕を

 

こんなはずじゃ、をやめてから結構な時間が経つ。それで僕は誰だったんだろうって思うんだ。2014年の僕は誰だったんだ?

 

ハードルを低く低く設定して、それを見て哀れに思い、それすらも乗り越えられない自分に茫然とする。過去を切り崩して、未来に向けて薄く積み重ねる。おしまいにしよう、って何度も思った。おしまい、という言葉の漠然さに戸惑った。見たかった景色はどこだろうってGoogleマップで探してみる。一致する結果がありません。

そんなに寂しくない。ここは海かもしれない。寂しさの海。どのくらい深いのか、そもそもどちらが上で、下で、どこから来たのか。本当は川かもしれない。浴槽かもしれない。コップの中かもしれない。

 

働いている。もっと早くからそうしたかった。自分の要領の悪さだけと向き合うのは、学校で要領以外の部分を試されるよりはるかに慣れている。僕は自分で思っているよりも不器用じゃないし、自分で思っているより頑張れる。と、少しずつそう思えるようになってきた。昔はもっと頑張れる場所があった。そして、絶望的に頑張れない場所もたくさんある。今も。

得意不得意がはっきりとしているだけだ。そう思い込もうとするけれど、僕の不得意はひたすらに致命的だった。そして、量が多かった。言い訳をしたいんじゃない。出来ないことは悪いこと、という場所がたくさんあって、出来ない僕は悪い人だった。

 

昔がどんどん離れていく。時間が経てば解決してくれることと、しないことがある。僕の失敗は思い出すたびに痛みを増すから、生きていけばいくほど傷は深くなっていくのだと思う。人に与えた傷も絶対に消えない。許される、許されない、という観点を持っていては、一生解けない呪いみたいになってしまう。

ゲームセットがない。リセットもない。ゴールもない。あとはずっと悪いマスが続くすごろくで、1しか出ないサイコロを振っているみたいだ。次のマスが見えている。そして僕は絶対にあのマスを踏む。

Suicaチャージ。2000円。3日で中身がなくなる。またチャージ。ログが積み重なっていく。チャージすることは生きること。何度この券売機に1000円札を吸わせるのだろう。紙幣は美味しいか。硬貨はどうだ。考えたらずっと何してるんだ。そんなこと自分が一番わかってるよ。

 

筆算の式の中に書いた繰り上がりの1として、どこにも進まぬまま夜の街を漂っている。

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