そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

明日にもすべて終わらないとして

 

23歳になった。

誕生日が年末にあるからか、その一日の祝われ方によって今年がどんな一年だったかがわかってしまう気がする。2人からLINEが来た。Twitterには何もなかった。そういう一年なんだと思う。皮肉ではなくて。

母から「大切に使いなさい」と手渡された一万円を自動券売機に突っ込み、ICカードにチャージした。電車に乗らなくては何も始まらない。社会に出なければ何も始まらない。わかっているけれど。

プレゼントでもらったBluetoothのイヤホンの接続がうまくいかなくて泣きそうになってしまう。何度も音楽は止まって、空白。みんなどう思う?何してる?僕がここ2年くらい空白でいるような景色を一緒になって見る必要はないよ。

あっはい、またそのパターンね。俺の文章に全俺が飽きている。実はしっかりと幸せに暮らしているんだと思う。不満足を偽るのは、どうしても折り合いがつかない理想の自分とやらを黙らせるためだ。こんなはずじゃなかった!って言いたい自分もいる。こんなもんだよな、って思う自分もいる。今は後者が勝っている。

バイト先から、来春も残って欲しいし、出来ればこのまま出世を目指してほしいと言われた。今の自分を必要としてくれる場所はほんとうにごく僅かだから、素直にうれしい。細かいことは別として、望めばずっとここにいられるだろう。その細かいことが大切なのだけれど。少しだけ待ってください、と伝えた。僕に残されている時間はそう多くない。

バイトはいつも楽しい。嫌になることは少ない。高校生から色々な職を経験してきたけれど、いつものめり込んで週6くらいで働いてしまう。正社員になったら別だろうなとも思うけれど、働くことは嫌いじゃないと信じているし、今はそこが最後の砦みたいになっている。働けなくなったらさすがに終わりだろうな。その時は。

俺をご存知の皆さん。23歳になりました。あなた方のおかげです。なぜだか幸せに暮らしているから安心してほしいし、心配もしてほしいところです。心が厳しい日もあります。現在地に切なくなる日もあります。出来る限りの誠実さと持ち合わせる限りの逞しさでなんとかします。もう暫くお付き合いください。

 

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奥にいるのが俺だよ