そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

この僕に愛を

幼稚園の頃からの幼馴染のうちの1人の結婚式があった。

 

幼馴染の何が良いか。親同士の仲が良いことに尽きる。今でも親同士のLINEグループは頻繁に動いていて、誰の親と誰の親が一緒にライブに行っただの、夜な夜なランニングしてるだの、地元の居酒屋で飲んでいるだの、まあひたすらに仲が良い。

結婚式当日の親たちのLINEグループは、結婚式の写真が共有されるや否や、感慨深くなる者、涙を流す者、共有された写真を集めてスライドショーを作る者、それはそれはお祭り騒ぎだった。

僕の母親は、棚の奥底に眠っていた初めて幼馴染と友達になった瞬間の写真をわざわざ引っ張り出してきた。この幼馴染とどうやって仲良くなかったかを、僕は初めて知った。幼稚園の遠足のとき、たまたま一緒に遊んでいたらしい。

何十人もいるクラスメイトの中から、どうして彼を選んだのか、もしくは選ばれたのか。わからないけれど、なぜだか必然だと思う。一緒に仙台市体育館に通ってトランポリンや水泳をしたこと。双方の家族で一緒にディズニーランドに行って、僕の父親に幼馴染がはちゃめちゃに怒られてしゅんとしたこと。小学校の卒業記念にみんなでベニーランドに行ったこと。高校のとき、途中まで通学路が同じだからたまに自転車で一緒に通ったこと。幼馴染の野球部の引退試合広瀬川の野球場まで観に行ったこと。みんなでカラオケに行って、俺たちにはこれしかないよなって言って親たちの好きなSMAPを大合唱したこと。

説明のつかない確率で出会って、説明のつかない共通言語を僕たちは持っている。これからもずっと、親たちを巻き込んでうるさくやっているのだと思う。

 

こうして、親たちがひたすらに楽しそうにしているのを見ると、なんやかんやで嬉しい。僕たちが生まれてこなければ出会わなかった人たちが、ずっと笑いながら話をしている。生まれてきてよかったと思う瞬間があるのなら、間違いなく今日だと思った。

結婚式のあと、みんなの家族で合流して地元の居酒屋でお酒を飲んだ。楽しかった。こういう幸せはずっと続いてほしいと思う。いつか、僕もこの人たちを喜ばせてあげられるのだろうか。

 

特別な日は何度も来ないから特別になる。一生ものの友人よ、結婚おめでとう。どうせ次はまだ誰かの結婚式があるのだ。ずっとずっとこんなふうに遊び続けよう。きみが喜んでくれるのがいちばん嬉しいから。