そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

シンコペーション/薙倒す

 

これは、覚悟の話である。

 

5月の中旬あたりから、右の耳に違和感を覚えるようになった。音が若干聞こえにくい、と表現するには大袈裟で、取り立てて何か書くべきこともない。ただ、ずっと違和感がある。右側の世界が歪んでいる。

誕生日も五十音順も遅いから、出席番号の関係で僕の席はだいたい教室の左隅にあった。そこに座って、右側を見る。黒板が見える。クラスメイトが見える。廊下が見える。喧騒を聞く。沈黙を聞く。友達と過ごすときも、付き合っている女の子と座るときも、1人で街を歩くときも、気が付けば左側にいるのが癖になっていた。僕の右側にはいつも誰かがいる。

疲れてしまった時に左側を見ると、そこには窓があって、その先には空間が広がっていた。3年6組の教室からは南校舎と空が見える。ぼんやりと外を眺めて色々なことを考えていた。放課後も教室に残って勉強をしていたから、どれだけ長い時間、外を眺めていたか分からない。

僕はあまり人と向き合うことが出来ない。誰もいない左側をあんなに見ていて、どうしていたんだろう。

 

人間の心理と視線は密接な関係にあると言われている。人間が左上の方向を見るとき、それは過去のことを考えているときらしい。反対に、右上を向けば、未来。

過去ばかり見ていた。他人と向き合えない時はいつも。右側の世界を遮断して、ひたすら過去のことを思っていた。

 

部屋に閉じこもり様々な過去を見ていた。この部屋には1997年から2017年までの僕が眠ったほとんどの記憶がある。腕時計の秒針の音とハードディスクの作動音が高音域と低音域を少しだけ埋める。取り替えたばかりの室内灯が煌々と輝く。何を照らすでもなく。机と向き合って椅子に座れば、部屋の出入口は右側に当たる。

右側から僕に語り掛ける何者かに目を合わせられず、また僕は過去を見た。降りかかるのは将来の話ばかりだった。右側の世界の歪みを止められない。

この生活には意味が無い。だけど僕はたくさんの物に守られ過ぎているので、いくらでも生き延びてしまうだろう。そして僕はたくさんの記憶を愛し過ぎているので、時間が過去だけで足りるくらいある。比喩と同じくらい事実は奇怪なもので、左を向くときに比べて右を向くときは身体が回りにくい。

 

守られたものから解き放たれ、右を向く強い覚悟はあるか。

 

母と血が繋がっているんだなと実感する瞬間は数々あるのだが、一番は「どんな言い争いがあっても、次の瞬間にはすぐ何もなかったかのように話せる」ことだと思っている。

うまく説明できる気はしないが、言い換えれば対立関係が持続しないのである。夕飯の直前に喧嘩をしたとしても、当たり前のように夕飯時には世間話をしている。ご飯が作られないとか、家から閉め出されるとか、逆に家出をするとか、そんなことが起きた試しがほぼない。さらにデザートまで食べてしまう。仲直りのきっかけは何もないが、なぜか勝手にリセットされてしまい、怒りや憤りといった感情を引き摺ることなく過ごすのだ。

僕は「謝罪・弁解・反省」を母の前でした記憶がない。そんなことしなくても、許される、というか、普段通りの会話が待っているからだ。僕がそれを苦手だから母も期待しなくなったのか、元々そんなものを母が必要としていないのか、どちらにせよ、長い時間を共にする家族にとって、いちいち改まった機会を設けるのは非常に気苦労が絶えないことであるから理に適っていた。

これが我々親子に特異なことであると気付いたのは割と最近のことである。一般には喧嘩が起きれば数日間は会話が無かったり険悪なムードが続いたりするという。親子でなければさらに深刻で、一時の険悪な状態はいつまでも続き、機会が無ければ一生疎遠なまま、というケースもよくあることだ。

人と関わるようになって一番困った、というか怖かったのは、「怒る人間はいつまでも怒っている」ということだった。母のように、怒りの感情が数分単位で消える(ように振る舞うことができる)人間は稀であり、大抵の人間は一度怒らせてしまえば「仲直り」まあすなわち「謝罪・弁解・反省」の場がない限り、人を許してはくれないのであった。

 

全ての怒りを受け止めて、頭を下げる覚悟はあるか。

 

僕は同じ感情である瞬間が短い。怒りも喜びも憂いも持続しない。いつまでも落ち込んでる、と思われているかもしれないが、単純に覚悟がないだけなのだ。気持ちはとうの昔に晴れていて、ただ傘を閉じるのが怖いだけだ。僕の傘だけを見て、まだ雨か、とビルの上の階から僕を覗き込む人々がいる。晴れたことが発覚したら迫り来るであろう日差しに似た人波が怖いだけだ。

直喩で言えば、僕がもう落ち込んでいないことを見つけた怒った人達が声を荒立てて僕の不始末を指摘するのが怖いだけだ。

 

右側の声を黙って聞いていた。未来も過去も繋がっていて、中心に僕がいることは間違いなかった。ちょっとだけ走ればいい、ちょっとだけだから。

 

 

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