そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

トリアージ・タッグ

 

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はじめまして、に至るまで互いが重ね着してきた物語をひとつひとつ教えてもらう。春だから、脱いでしまってもそんなに寒くも恥ずかしくもない。そのアウターは僕も持っているはずだ、と思う。もう春になったのだ、僕ら。まだ肌寒いけれど。

 

「いつまで経っても東口がホームのような気がするんだよね」と言った。線路の向こう側に通うようになって4年が経つ。ユニバーシティに馴染めなかった代わりに色んな場所を手にしては捨てた。怒られながら褒められた。したいようにしてきた。自分で編み出して纏った衣服を愛しく思う。でも別れを告げなきゃいけないような気がしている。

 

僕たちはきっと、誰かと同じ服だけを身に付けることができない。憧れていても、愛していても、離れがたいと思っても、全く違うインナーで汗を吸い取っている。誰かと違うタイミングで汚れてしまう。他人とはまるで分かり合えないのかもしれない、と感じることがよくある。

 

でも、クローゼットの中に似たような服を見つけることはできる。相手の好みを知ることができる。黙っているけど、わかってくれている人がいる。100%同じなんてないけれど、たまにお揃いを着たり、お互いのものを交換したり、君の引き出しの中身を知っていたりする。大切な思い出も。

 

おんなじ格好をしたかった日々のことを考えている。おんなじ顔をして写真に収まろうとした日々のことを考えている。誰かの全てになろうとしていた日々のことを考えている。

あとからはなんでも言える。いまは熱気が冷めた状態なだけであって、僕はいずれ熱狂してしまうのだろう。思いを重ね着してしまう。

 

トリアージ・タッグ、というものがある。傷病者を4色に分けて、治療の優先度を定める印のことだ。重症なものから順に、黒、赤、黄、緑と判定される。

誰かに判定してもらえるなら、自分は何色のところにいるのだろう。救命措置が施される順番は、重症の度合いの順序とは少し異なる。赤、黄、緑、そして最後に黒だ。黒はもう助からないのだ。 

もう助からないのかな、と思う日々が続いている。あえて過剰に深刻さを主張するときもあれば、どうってことないよという顔をしているときもある。自分では自分がどこにいるかわからないので、誰かを必要としている。