そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

なんの話でしたっけと惚ける狡さもちゃんと肯定したい

 

久々に大きいリュックを背負って出掛ける。昨日のことを思い出す。

 

友人から電話が来ていろいろと話した。

「少し前に加湿器を買ったのだけど、そのあとビンゴ大会でも加湿器が当たってしまって家がものすごくしめっぽい」というくだらない話をする。電話の向こう側ですこしだけウケてくれた。このまま一生ウケ続けてくれればいいのになーと思う。とりとめのない話の面白さは聞き手と話し手の関係性に依存している気がする。

 

みんな僕の人生にこのまま一生ウケ続けてほしい。新聞にもテレビにも雑誌にもならない代わりに、ドトールとかサイゼとか笑笑とかで「そういやこの前あいつがさ」っていう話をずっとしていてほしい。

 

僕は電話をするのが好きなので、いろんな人からの電話を受けたい。だけど、7年前の電話のことを思い出してしまうことがある。

 

高校受験の合格発表のとき。自分は志望校に受かっていて、高校から帰る途中、志望校に受からなかった同級生から電話がかかってきた。あのとき僕が何を言ったかは全く覚えていないけれど、あの日の僕は確実にその同級生のことを救えなかった。

誰かから深刻な声で電話が来るたびに、僕はきっと君を救えないぞ、と思う。すごく申し訳なくなる。必死に耳を傾けて、沈黙の隙に思いを挟む。いや別に、元から救われたいと思ってないはずなのだし、なんでもいいじゃないか、と割り切る自分もいる。

 

何をしたらいいかわからない時に僕は何をしてきたか、を考えている。

確か今年の10月なら、原付で飯坂温泉に行った。今年の夏は原付で銀山温泉に行った。そういえばその前の夏は原付で鳴子温泉に行った!

あっ、温泉です。原付で温泉です。僕の場合は。あのとき言えなくてごめんなさい。

 

それから、昔の自分が愛していたものを摂取するのは、愚かながらも正しいことのように思える。映画でも、音楽でも、漫画でも、小説でも。

結局は、良いと思えるものを見ること。出来る限り自分の創作意欲も掻き立てられるような作品を。人間でもいいんじゃないかな。

 

やれやれ、なんの話でしたっけ。