そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

石楠花の葉

 

電車に間に合うかどうかギリギリなところだった。家から最寄りまで走る。間に合う。そういえばいつも走っている。ここは仙台。ノット東京。

東京から帰ってきてから、仙台を心から愛していなかったのではないか、という気分にさせられている。ただ生まれた場所だから、ただ住んでいる場所だから、ここが自分の器としてちょうどいいから、ここしか居場所がないから、だから仙台を好きと言うしかないのでは、と。

別の場所にいたら別の人たちを愛すのでしょうか。外に出てみないとわからない。

 

ヲチスレ、という言葉の意味が分からなかったので調べる。ああ、なるほど。

心が痛い。じゃあお前はどうなのよ、と言われたら、ほとんど同じことをしていたように思えて辛い。好意を寄せていた人にとっての嫌いな人になっていくことが耐えられない。

どうってことない、と思えない時はだいたい弱っている。たぶんタイミングが違えばどうってことないと思えたかもしれない。そして僕は今、あなたほどには弱ってあげられないから、どうってことない、と言ってしまいそうで怖い。その理解のなさがまた傷を増やすのだぞ。

 

バイトが終わると21時前。21時閉店の書店に駆け込む。友人がアルバイトをしている。レジを打ってもらいたいからと空くまで待って、雑誌を2冊買った。「2点で1330円になります」友人はすごく丁寧な対応をしてくれた。お釣りの9,000円をとても綺麗に数えて見せる。友人のこういうところが好きだ。

幼稚園の頃から知っている、と思うと知り合ってから17年くらいになるから面白い。実際には、お互い微妙な距離感を保ったまま仲良くなったりならなかったりした。この友人との関係性はうまく言い表せない。たまに会いたくなる。そのタイミングが一致しないのでほとんど会うことはない。

 

買った雑誌を片手に、別の友人と待ち合わせる。いろんな友人がいるんだぜ、この街。

そう思うと仙台はやっぱり好きだ。駅のベンチに腰掛けて到着を待つ。

 

身の回りのことは何も片付かない。バイトで大きなミスをしたことも気にかかる。これからの人生のことが全く決まっていない。いろんな人や物を裏切っている。今たくさんの人からよく思われていない。一気に全部取り返すのは難しいとわかってはいて、地道に地道にやっていこうとしているけれど、すぐに別のところでやらかしてしまう自分の欠陥の多さよ!

 

僕は卑屈だけれど、必要以上に卑屈になっているとは思わない。むしろこの出来損ないが堂々とした態度で生きていられようか!

その方が可笑しい。僕は真っ当に卑屈だ。自分の実力がそうさせるのだ。僕が僕である限り、申し訳ない顔をして生きていかねばならないのだし、自分の能力以上のことをやろうとは思ってはいけない。自信満々で生きられる皆様が本当に羨ましい。そうありたかった。

 

色んなことを脈絡なく考えてしまう。何もまとまらない。東京で聞いた運転見合わせのアナウンスの全てに尊さを感じた。自害する勇気があっていいな。しかし人に迷惑がかかり続けるのが嫌で死のうと思っているのに、どうしても人の迷惑になり続けるのが厄介だ。手詰まり。勇気もない。

地道に頑張って、これ以上傷口を広げないことを目標に粛々と生きていくしかないのだ。今すぐ死ぬよりかはまだ楽な道に思えるから生きているだけなんだよな。

 

ずっと辛いわけではない。ずっと悲しいわけではない。楽しいことも面白いこともたくさんある。抱える鬱屈をうまいこと説明できない。単なるクズなんじゃない?まあ、そうですね。