そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

【拡散絶望】7年前に自転車が盗まれました。という話

 自転車が盗難に遭いました。RTお願いします。 #拡散希望

このようなツイートをよく目にする。

意味はあるのだろうか?と思ったりもするが、実際ツイートがきっかけで発見されることも多いらしい。現代の拡散力、恐るべし。

自転車が盗まれる悲しみに対して、警察の対応は実に淡白であることが多い。仕方ないのだ。盗難事件は大小含め毎日追いきれないほど起こっている。自転車の場合、持ち主が鍵をかけ忘れた、正規の駐車場に停めていなかった、などの過失によって盗難が発生しているケースがほとんどだ。登録番号や車体の特徴などを事務的に記録した上で、警察は次の自転車を購入するよう諭してくる。盗まれたものが見つかる確率は極めて低いのだろう。

しかしSNSに悲しみを叩き込めば、誰もが耳を傾け、普段とは異なる意味合いでの「いいね!」を送る。「大丈夫ですか?」「探しておきます!」「許せないですね!」というメッセージが並ぶタイムライン。惨めな気持ちを少しずつほぐしていくSNSセラピー。

このSNSセラピーは時間差でも効果があるのかを検証したいので、自分の盗難経験を書き記す。非常に惨めで、情けないエピソード。

 

中学生の時の話だ。当時付き合っていた女の子とカラオケに行った。住んでいたところから自転車で15分くらいの距離で、自分の家からは最寄りのカラオケだった。

あの時はほとんど外でデートした記憶がない。突き抜けてシャイだったか、突き抜けて面倒臭がりだったか、そのどちらかということにしておいてほしい。

カラオケに行く道中、カラオケボックスの中でのこと、それらについては全くと言っていいほど覚えていない。もう7年も前のことだ。

何時間か歌って、外に出た。そして驚いた。僕の自転車だけ、ない。

それから僕はどうしただろう。隣では早く自転車で帰ろうという目で彼女が僕を見ている。平静を装ったフリをして、少しだけ探し、諦めて並んで歩いて帰った。あれはダサかった。とてつもなくダサかった。常時平均して高水準のダサさを発揮しながら生きている自分でも、あの時の瞬間的なダサさの突き抜け方は凄まじかったように思う。

僕はあの帰り道どんな話をしただろうか。盗まれたことへの不満を口にするのは非常に女々しく、かといって自転車について触れないのも不自然だ。こちらもやはり全くと言っていいほど覚えていない。むしろ忘れてよかった。

初めての彼女、ほぼ初めての外出、初めての盗難。最後だけ明らかに要らない。その後ますます外出を避けるようになったのは言うまでもない。

 

ただし、この出来事、「デートの帰り道で自転車盗まれて歩いて帰った事件」という題名のインパクトに反し、僕はそこまでトラウマにもなっていないし、その子との関係も何事もなかったように高校生になるまで続いた。きっとあの子は触れないでくれたのだ。震えるほどのダサさを、形式ばった「いいね!」をするでもなく、必死にフォローするでもなく、優しく包んで静かに忘れさせてくれたのだ。これぞ最良の治療法だとは思いませんか。時代はSNSよりも彼女ですよ。

 

ちなみに自転車は、数年後完全に忘れていたタイミングで戻って来た。久々に対面したそれは、車体の至る所に蛍光テープが貼られ、どう見ても自分のものとは思えなかった。盗られたのは自分ではなく自転車が悪かったのだ、という気持ちになった。

自転車が見つかったことを、既に別れていた例の女の子に告げると、大笑いされて強めに傷口を抉られた。声が出ない程にダサかったらしい。

彼女は彼女でなくなった瞬間に、最良の医者から最高の殺人鬼になります。助けてSNSセラピー!