そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

玉結び

2週間ぶりの診察はたったの2分で終わってしまった。やるべきことが決まっているから特に不満も不信感もないけれど、あっけなく終わってしまってはじめて、本当はもっと話を聞いてほしかったんだと気付く。

処方される薬が変わった。同じ漢方薬だけれど、今回もらったもののほうが苦くて口に残る。いつか漢方薬の味が全部わかるようになるかもしれない。薬剤師に、「これ食前に飲むものですけれど、皆さんよく忘れてしまって、その時は食後でもぜんぜん大丈夫ですからね」と言われた。お墨付きをもらったので、もはや最初から食後に飲むものだと思って生活するようにしたい。

あまりにも診察が早く終わり、次の予定まで時間ができてしまったのでサウナへ。去年の年末に行った池袋のかるまるというサウナがあまりに良すぎて、そこでサウナ好きとしてのランクが上がった気がする。要するに、ちょっとだけわがままになった。サウナ室の温度がどう、水風呂の水温がどう、動線がどう、外気浴できるところがどう、みたいなことを良い施設と比べてしまう。良かったサウナベスト3は、池袋のかるまる、笹塚のマルシンスパ、名古屋のウェルビー。

今回行ったサウナは別料金で岩盤浴があり、その日は半額だったので入った。正直に言うと岩盤浴は、適度にあったかい部屋で、心地よく眠れて、そんなの気持ち良いに決まってるじゃん、と思うのであまり進んで好きになろうとはしていない。そこに苦しみがないじゃないか。対してサウナは我慢の連続である。限界のその先に快楽がある。サウナ室で熱風に耐え、無理だと思ってから60秒数え、出来上がった状態で水風呂に入り、身体が冷え切っても水の中に留まり続ける勇気。ここまで書いていて、自分はなんでサウナが好きなのかよくわからなくなった。無茶をするのはとても危険なのでやめましょう。

 


午後はトークイベントの手伝いへ。そこに来ていた女の先輩と久しぶりに対面し、まさか会うと思ってなかったので2人で顔を見合わせてぽかーんとしてしまった。絵に描いたようなぽかーん。その先輩にはすごくお世話になったから、薄くとも縁が繋がり続けているのはうれしい。家族や親友などの特定の数名を除けば、基本的に人と人とのつながりの糸はものすごく脆いもので、毎日のように会っていた人とも急に疎遠になってしまうものであるから、出会ったときにかるく糸を玉留めしておくくらいのことはさせてほしいと思う。糸が切れたら意味はないけれど。

自分が好きなことのひとつに、大きめの空間で自分が選曲した音楽を流す、がある。演奏したいのではなく流したい。好きなものを聴いてもらいたい。つまりは共有なのである。ライブビューイングが好きなこともこの感覚に近くて、自分の好きなものを会場にいるたくさんの人が一緒に見ているということが大事なのだと思う。振り返ると、一時期狂ったように動画を作っていたのも、誰かと一緒に見たかったからだ。誰かが笑っていたり楽しんでいたりするのが見えるのが好きだ。

イベントの音響をやって、好きな曲を流して帰る。会場によって、客層によって、映える曲が違うからおもしろい。DJってこんな気持ちなのかなと思った。でもDJにはならないだろう。理由はシンプルで、あんまりDJ映えするような曲を流そうと思っていないからだ。ちなみに今日は主にステラ・ドネリーを流していた。イヤホンで聴く音とぜんぜん違って良かった。

現場で何かをするたびに自分がまったく気が利かない人間であることを自覚する。なんとなく気を張っていたのか、イベント終わりは少し疲れていて、そういえば今日は朝の6時半まで起きていたので1時間しか眠っていないことに気が付く。気を張っていたのではなくて寝不足なだけだ。病院の最寄り駅で落としてしまったポーチを取りに行き、ついでに昔の職場の近くのなか卯に行って親子丼を食べる。週4で食べていたなか卵。特に何かを思い出すことはなく、終電のひとつ前に乗って帰る。