そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

ベンチにて

比較的前向きな気持ちになった瞬間に美容室の予約を入れるようにしている。だいたい2ヶ月に1回行くのだけれど、それが2ヶ月と1週間になったり、1ヶ月半になったりといったブレによって、自分の気持ちの向きがなんとなく見える気がする。今回はちょうど2ヶ月と1週間だった。思い立ったときにすぐ行けるように、同じ系列の3店舗から、ちょうどいい空いた時間を予約するようにしているので、決まった担当もお店もない。はじめましての人に髪を切られ続けている。

前の予定が延びてしまい、美容室に少し遅れる旨の連絡を入れる。すみません、10分ほど遅れます。たとえば何分くらいの遅れから連絡は必要なのだろうかと考えてしまう。1分遅れならそのまま向かったほうがいいだろう。電話するよりまず走れ。5分なら微妙だ。でもたぶん電話したほうがいい。今回は10分なので迷わなかった。

こんな感じでいつもどっちでも良いことを色々と考えている。髪を切り終わった時の「セットしてもよろしいですか?」に「はい」と返答してセットしてもらったけれど、それで良かったのだろうか。本当は早く帰って欲しかったんじゃないかと思う。目の前にある飴は舐めても良かったのだろうか。毎回、口に入れたいけれどなんとなく恥ずかしい気がして手を出さない。何気ない会話の中で、このあと昼食になにを食べるか聞かれて、「たぶん寿司ですね」と答えたけれど、歩いている間に気が変わって結局ラーメンにしてしまった。この場合の嘘はノーカウントだろうか。

カフェに入ってゆっくりしようかと思ったけれど、いつもなんとなくやめてしまう。僕のカフェに入りたい欲求は「座りたい」が一位なので、近くにベンチがあったらそこに座ってしまう。飲み物を飲みたいとか、机が欲しいとか、そういうのがあれば違うんだろうけど。たまにショッピングモールのベンチに2時間座っていることがある。座れればなんでもいい。

でもベンチにも良し悪しはある。いいベンチは人通りが少ないのに空間が開けているベンチ。悪いベンチは人通りが激しくて狭いベンチ。座り心地のことを考えると、木製のものよりも布だとありがたい。隣に人が座ってこないような間隔で座れるといいので、何人も座れるような長椅子みたいなのよりも、2人掛け未満のほうがいい。背もたれはあるとうれしい。テーブルはなくてもいい。

良いベンチに座ってただ人の流れを見つめながら音楽を聴いて文章を書くのが好きだ。この行為は人目にはなにもしていないように見えるだろう。僕はなにもしていない状態が好きなのかもしれない。

昨日は5時まで眠れなくて、その前の日は朝の10時まで起きてしまっていた。主治医のいう「普通じゃない状態」だ。先生は理想的なことしか言わなかった。決まった時間に起きてご飯を食べること。お風呂に入ってよくあたたまること。理想だけれどできないことを、ちゃんと努力して目指してみるのが大事だと気付く。まずは時間割を組んでみようかなと思う。オードリーのオールナイトニッポンをタイムフリーで聴きながら帰る。