そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

8月18日 -招待制の地中-

 

昨日はもうびっくりするくらいに寂しくてしんどくて、寂しい時にはこうしようマニュアルの運用に失敗したら銘々の方々に迷惑をかけた。自立とは依存先を増やすこと、とはよく言ったもので、今、確かに頼れるものが少ない。甘えたい時にちゃんと甘えたり励ましてくれたりしたいね。誰かを救いたいなと思っているときは人に救われたいとき。誰かに救われるためにはあとどのくらい頑張らなきゃいけないんだろう、とか思ってしまうことはある。

 

認知行動療法を受けたいと思うけどもう一歩気持ちに踏み込みが付かない。けれど、必要なんだろうなーと思う。事実と思い込みの境界線があいまいになっている。正しさを認められる判断力はいまのところないし、うつ度チェックもいよいよ過去最高の点数を叩きだしたので、いよいよちょっとあぶないような。仕事がつらかったのは事実だしどうしようもなくない?と思っているけどそれも認知の問題なのかな~と思う。

 

そういや最近語尾を伸ばしがち。だいたいの言葉に「なのかな~」「だろうなー」ってつけている。これは深刻な気持ちをどうにか柔らかくしたい僕の心を表しています。優しくしてほしいと思う。切に思う。しかし人に優しくはできない。余裕がないんだ。

 

でも、自分の好きな服を着て、髭を伸ばしてみたり剃ってみたり、すきな丸眼鏡や指輪を自由につけたり、そういうことができるのはわりとハッピー。スーツ着たくないというより、スーツは可変性が少ないのが嫌だなーテンション上がらないなーと思う。俺は髪型を毎日微妙に変えたいしシャツの着方も少しずつ変えたいし、なんなら眼鏡は毎日変えたいと思っている。気分屋なので。

 

気分屋といえば、好きなものややりたいことも結構毎日変わっていたりする。そこらへんの微妙な変化を誰かに感じ取ってほしさはあるけど、これはさすがに面倒くさいと自覚をしている。自分にリトマス試験紙を当ててみたら毎日違う反応をするみたいな。ただ、自分のそういう面倒くささは結構すきかもしれない。

 

きっと僕は人じゃなく物や現象に救われたほうがコストパフォーマンス良く生きられるんだと思う。人に期待と依存をしすぎている。でも人が好きだもんなーとか言ってられない。たとえば今作っている動画とか、ちゃんと書いた文章とか、自分の手で作り上げた物に救済されたい、ずっとそうやってきたし。でも救済のキーフレームは承認なんだよ。承認欲求ザウルス。僕のことです。

 

せめて承認に値するものを作らなければ。そう思うと結構気持ちは楽になる。がむしゃらに作ればいいだけなんだから。まっすぐに努力しましょう、夏。

 

BGM:hanagumori/Balloon at dawn