そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

さくらんぼは全部あげてしまう

 

ずっとサカナクションの新しいアルバムを聴いている。けれど、このままではサカナクションの新しいアルバムを聴くだけでつらくなってしまうような気がして、すこしだけこわい。音楽は聴いていた時の感情を引き連れて、未来でまた出会わせる。つらい時に聴いていた音楽は、つらかったことを思い出させてしまう。

つらそうな人になりたくないなーと思う。そうならないための心持ちの変換が今はちょっとできそうにない。つらそうな人は、つらそうな顔を見せることで、周りの人を傷つけたり落ち込ませたりしてしまう。ああ、いやだな、と思って自分も落ち込む、のループ。

 

そもそもつらいのは自分だけではない。

 

 

先週末はさくらんぼ狩りに行った。自分がさくらんぼを好きなことを初めて知った。

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母方の実家が山形にあって、毎年さくらんぼが届く。でも、あんまり食べてなかった。1パックいくらだろ、1粒いくらだろ、そんなことばかり考えて、食べるのもったいないな、と思ってしまう。家族がさくらんぼが好きなことを知っているから、ぜんぶあげてしまう。

はじめて、価格を気にせず、はい、いくらでも食べてください!という状態になってはじめて、さくらんぼがこんなに甘くて、みずみずしくて、とにかく美味しいことを知った!

 

そういうことはよくある。要するに、自分と向き合うよりも先に、家族とか、友人とか、環境とか、値段とかを考えてしまうということ。

たとえば、やりたいことをやる時に恋人の顔色を伺ってしまうこととか、ほしい服が似合うかどうかよりも先に値札を見てしまうこととか。

じゃあ、これからは自分と先に向き合おうね!ってことではなくて、今後もたぶん僕はやりたいことの前に人の顔色を伺うし、服の値札を見るだろうし、さくらんぼは全部家族にあげちゃう。自分の思考と行動の話。

 

 

先週にかけて、自分の将来のことと、他人の将来のことと、今やらなきゃいけないことを、全部ぐるぐると考えて、すっかり空っぽになってしまった。

好きなものは好き!と叫ぶことでなにかが変わるかもしれないと思って、アルバムのレビューを書いた。

サカナクション『834.194』 再構築の6年を経て、サカナクションが手にした新たな武器とイメージの変化 - 銘々と実損

それはまあ、今ある問題の先延ばしにしか過ぎなくて、今日は5時に起きて、そこからぜんぜん動けないままベッドにいる。

 

つらい理由を列挙するのもつらい。けど可視化は大切で、可視化とタイムマネジメントによってつらさは軽減されることがわかっている。そして、今はできない。

こういう心構えが必要、こういう物の考え方をしなくてはならない、みたいなものに対して、答えがわかっているのに、今はそうなれない、という瞬間が来てしまう。Aという選択肢を選ぶべきと、頭で分かっているのに、心も身体もBを選んでしまう、もしくはなにも選べない、そんな瞬間ばかり来てしまう。

 

これは僕だけではないが、「遅刻をしない」「無断欠勤をしない」「忘れ物をしない」「返信をする」「電話に出る」「締め切りを守る」といういわゆる「当たり前のこと」ができない瞬間すら、人間には容易にやって来る。

なんでこんなこともできないの、常識でしょう、ありえない、という言葉に何度出会うのだろう、その度に悲しい気持ちになる。勝手に決められた「当たり前」がどこまでも広がっていく感覚だ。

 

なんにせよ、自分に能力がないということで片付いてしまう問題。もしくは耐性がない。適性がない。ないものがある。わかっている。わかっているからつらいんだよ、どうやって生きていけばいいんだよ。

 

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