そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

感情の棚卸し

 

感情の棚卸しをしないといけない。

そう思った。もう僕が僕の気持ちをぜんぶわからない。何がしたくて、何が好きで、何がこわくて、何がうれしくて、どこに行きたくて、どこにいて、誰と会いたいのか。

 

片耳だけのイヤホンで音楽を聴きながら漫画を読んだ。傷の治りが遅くなった身体に、矢は何本も突き刺さる。

漫画を読むということは、仕事のことを放棄するということで、それがどれだけ未来の自分を追い詰めるかということもよくわかっている。けれど、これ以上、今の自分を追い詰めることもできないくらいに弱っている。悲しみの総量は変わらないどころか、利子がつくように増していく。この世のすべてに申し訳ない気持ちになる。休日のたびに気持ちが落ち込んでいる。

 

「なれなかったもの」が年々増えていく。「できない」が「なれない」に変わるタイミングを最近はいくつも目にした。別にそのことに対して何か怒りがあるわけではない。ただ悲しいだけ。

出来ていることがひとつも見当たらない。跳び箱の上で尻餅をついて、降りられずにいる子どもみたいに、どうしたらいいかわからなくなっている。何から手を付けていいかわからなくなっている。汚れの落ちないトートバッグ。容量がいっぱいのiPhone。洗い物で埋まったシンク。

 

この週末で僕の感情がすこしはわかるだろうか。やらなきゃいけない仕事はいくつも溜まっていて、開きっぱなしのノートパソコンがずっとスリープしている。