そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

「つくる人」に関する雑記と、敬愛する先輩のこと

いや、まいったね。

木曜、22時。なんとか仕事が終わり、車を運転して帰る。やっとの思いで家に辿り着いたが、駐車場で動けなくなり、エンジンを止めて運転席でひとり唸る。うー。明日も仕事だ。

スマートフォンを手に取り、Twitterを開いた。大学時代にお世話になった、敬愛する先輩が書いた文章がタイムラインに流れていた。読んだ。読んで、そのままの勢いで僕はこの文章を書いている。

「つくる人」でもあり「乗っかる人」でもある大好きな先輩

まず、俺はこの先輩のことが大好きだ。世界で一番面白い人間だと本気で思っている。IF I AMという、仙台で細々とやっている学生メディアサークルで出会った。この先輩だけの1時間番組を作り、そのためにロケ動画を3本作ったこともあった。


 

この先輩の好きなところは、自分で何かを「つくる」ことも、誰かが作ったものに全力で「乗っかる」ことも、異常に上手いことだ。良きクリエイターでありながら、クリエイターを支援する心強いディレクターにもなれる。さらに驚くべきことに、良きプレイヤーでもある。

先輩のプレイヤー能力を生かした企画や動画を、学生時代に何本も作った。「川の始まりを見に行く」だとか、「選挙演説させてみる」だとか、「彼女から1年借りっぱなしの自転車を返却させる」だとか。

学生時代の自分のクリエイティブの源泉は、この先輩の存在だった、と言っても過言ではない。皆で何かを作ろうとするとき、先頭に立って旗を振る僕に、いつだってアイデアをくれた。彼は「つくる人」にとっての最高の伴走者であり続けた。

 

「つくる人」になることを選んだ先輩と、選ばなかった自分

そんな先輩は、大学院在学中に突如として就職を決め、住んでいた仙台を離れた。就職先に選んだのは、面白法人カヤックだった。

「面白法人」という名前だけを見て、あなたはどう感じるだろうか。僕は率直に言って、なんじゃそりゃ!と感じた。

なぜ先輩はカヤックを選んだのだろう。本人に聞いたけれど、はぐらかされてしまった。この男は酔わせないと納得する答えが返ってこないので、面倒だ。(本人は酒が入ると滅茶苦茶熱い話をしてくれる)

ならばと、会社のホームページを読んだ。書いてあったことが、自分たちが学生時代に無意識に目指していた姿と、ほとんど同じと言って差し支えないもので、とても驚いた。

www.kayac.com

まずは自分たちが面白がり、周囲を巻き込んで、誰かの人生を面白くする。能動的に「つくる人」を増やしていく。まさに自分たちのやりたかったことだ!と思った。先輩はまっすぐ、やりたいことを貫く生き方を選んだ。

最近はVJとしても活動を始め、作った映像をTwitterYouTubeにアップしている。

 

 

一方、僕は大学を卒業して、華やかなクリエイティブの現場とはかけ離れた場所にいる。会社の一員として粛々と働いている。好きで毎週1本作っていた動画編集もしなくなり、岡崎体育に関する記事がバズって50万PVを突破したブログ(岡崎体育のMUSIC VIDEOが大変なことになっている - 銘々と実損もほとんど更新していない。たまに思い出したように日記を書くくらいだ。今の僕は、「つくる人」とは言えない。

 

「つくる人」を諦めたのか?

どうして僕は「つくる人」を諦めてしまったのだろう。時間的な制約?能力の不足?自信のなさ?就活の失敗?どれも正解でどれも不正解だ。そもそも、僕は「つくる人」になることを諦められていない

 

この先輩を含むかつての仲間と、新しいメディアを立ち上げようと思っている。名前だけは決まったが、活動方針もロゴも媒体もコンテンツも、まだ何もない。それでも、どうしてもやりたい。

なぜやりたいのか。

明確な理由がある。いや違う。先輩の書いた文章を読んで、どうしてもメディアをやりたい理由を思い出した。

 

それは、「自分の作るものが好きで好きでたまらないから」。拙くて、粗くて、どうしようもなくて、全く社会的には価値のない自分の制作物が、自分にとってはすべてかけがえのないものに感じる。自分を肯定できる材料として、今でも輝いている。

しかし、何も作らないままだと、どんどん古くなっていく。過去の栄光となり、懐古して、あの頃は楽しかった…だけど今は…と嘆くような人間になりたくはない。「つくる」ことは苦しく地味な作業が続くけれど、自分の生み出したものを通してみんなが楽しんでくれることや、予期せぬ場所で知らない誰かの笑顔になっていることの素晴らしさを忘れることは出来ない。

 

そして、自分の作るものはいつだって周りの環境に影響されている。自分ひとりで生み出したものはひとつもない。東北の今を知ってもらいたい。先輩を笑わせたい。仙台の新たな一面を引き出したい。好きなアーティストを広めたい。友人の面白さを知ってもらいたい。なんであれ、環境が触媒となって僕を突き動かしてくれる。この文章を書いている今だってそうだ。先輩の存在が僕にブログを書かせたのだ。これはつまり、「つくる人を増やす」という理念そのものじゃないですか。