そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

あの日、母とガストで

 

母がいなかったら生まれていなかったし、母がいなかったら今頃死んでいた。大袈裟じゃなくて本当の話だ。あの日、母と木町通のガストに行かなければ、僕はずっと引きこもりだったかもしれない。

 

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部屋の布団からほとんど出ずに生活していた。たった2年前のことだ。

 

大学を留年し、バイトも辞め、なにもかも手に付かない。大学の講義も1年以上受けていない。もうだめだ、と思った。何のために生きているか、これから何をしたいか、何をすべきか、全部がわからなくなってしまった。あの日の僕は、死にたいけれど覚悟がない、ただ時が過ぎるのを待つだけの屍だった。

そんな僕の様子を見て、同居する母も相当苦しんでいた。ストレスで蕁麻疹が身体のあちこちに出来たという。それでも、苦しみを我慢して、怒りに耐えて、毎日ご飯を作り、僕の回復をじっと待ってくれていた。

 

「明日、仕事の休みを取ったから、一緒に大学行こう」

意を決したように、母は言った。

 

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次の日。快晴だった。母の運転で大学に向かった。2017年6月7日。1年4ヶ月ぶりの大学だった。

 

「私はあなたを生んだ責任があるから、あなたがどうなろうと最後まで面倒を見る。教授に謝らなきゃいけないなら許してくれるまで一緒に頭を下げる。あなたが本当に大学を卒業したいのなら、何だってするからね」

母はそう言って僕を送り出した。泣きそうになるくらい嬉しくて、申し訳なくて、気持ちはぐちゃぐちゃで、講義の内容はほとんど覚えていない。

 

あっという間に90分の講義が終わり、迎えに来た母とガストに行った。昼食とドリンクバーを頼んで、2時間くらいそこにいた。

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久々に笑って話をした。とりとめのない会話のひとつひとつに希望が宿っている気がした。心の扉がすこしずつ開いていく音がした。笑いながら泣くってこんな感じか、と思った。

なんの変哲もないファミリーレストランのあたたかさ。サラダのおいしさ。肉の甘さ。忘れていたものを思い出すようにして、噛み締めた。

 

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あれからちょうど2年経った。僕は人よりも1.5倍の時間をかけて大学を卒業し、春から社会人になった。一生を共にしたいと思える彼女と出会えた。新しい夢も出来た。

全部がうまくいっているわけではない。相変わらず一進一退を繰り返している。人生はとても難しい。あの日を境に人生が急転した、なんて言うつもりはない。でも、今の僕がなんとか楽しく生きているのは、母が連れ出してくれたおかげだと、はっきり言える。

 

今日は両親の25回目の結婚記念日。照れ臭くて、恥ずかしくて、感謝の言葉をうまく伝えられる気がしない。うまく切り出せないまま、今日がもう終わりそうだ。

両親に旅行をプレゼントすることにした。生まれてから飛行機に乗ったことのない母に、「どこに行きたい?」と聞いたら、「伊勢神宮」と答えた。今は仙台から中部国際空港への飛行機の値段を調べている。

 

 

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