そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

卒業旅行①

 

3月の頭に卒業認定が出た。2017年頃から出る出ると言われ続けていたものが2019年にやっと出た。卒業認定はサカナクションのアルバムなのかもしれない。Vampire Weekendのアルバムも出るし、うれしい。

卒業認定が出た瞬間の気持ちと単位が出揃った時の気持ちは忘れられない。手が震えた。呼吸が荒くなった。卒業か中退か。天と地ほど違うとまでは言わないが、卒業が決まった瞬間は天にも昇るような心地だった。いや違う。ほっとして、ちょっとだけ心が浮いた。ドローンみたいな感じで。僕の心が僕を俯瞰する。

そして次の瞬間に僕は宿を取っていた。5泊。東京。同級生のいない僕のひとりぼっちの卒業旅行が始まろうとしていた。

 

とはいえ。4月以降の職が決まってすらいないのに、大事な時期になんで卒業旅行しているんだ、ばかなんじゃないか、という気持ちが第一にある。とはいえ。そもそもまともだったら留年などしないのだ。これは開き直りではなくてひたすらに悲しい現実で、なんとか卒業が決まったとはいえ、まともに卒業もできない、職もない、だらしない人間だということを忘れてはいけない。

壮絶な留年劇を演じたあとの卒業。もっとドラマチックな祝福が必要なのではないだろうかと思った。先に書いたようにこの数年間は自分の弱さ虚しさ無能さ薄情さ怠惰さばかりと暮らしてきたせいで、すっかり自分を諌め蔑むばかりのマイナス思考が板に付いてしまい、このまま社会に出ても僕は人間としてなんにも面白くない。いつもマイナスなことばかり考え話している人間と、前向きで明るく挑戦心のある人間、どちらが一緒に仕事をしたいだろう。明らかに後者だ。だからここで、底辺大学生としての自分にそれなりのフィナーレを用意しておこうと思った。

 

わかっている。人はそんなに簡単には変わらない。ただし僕の鬱屈は環境に起因するものも大きかった。留年のストレスは親友の死よりも上回るという研究もある*1。環境を整え、ストレスの元を取り除けば改善の余地はあると期待している。ちゃんとした職につき、所属と承認を得て自己実現に辿り着く。マズローはなんだかんだいって馬鹿にできない。前向きで明るく挑戦心と肯定力を持った人間になるための第一歩へ。まさしく卒業旅行の趣意に相応しい。と、僕は思ったがやっぱりこれは世間的に見たらまともじゃないのである。

 

キャリーケースを引っ張って家を出る。歩いて15分の最寄駅まで行く。いつもの道もキャリーケースを引っ張ればロールプレイングゲームの世界に見える。なあサトシ、お前は荷物をどうしているんだ?5泊分の衣類や生活必需品やあったほうが便利そうなものやなくてもいいものを詰め込んだキャリーケースは重い。ガラガラと音を立てるのも気に障る。その時である。路線バスが走ってくるのが見えた。30分に1本あるかないかの路線バス。運が良い、乗ってしまおう。こうして歩いて15分もかからない道を、バスで2分だけ走って最寄駅に辿り着く。マサラタウンからいきなりそらをとぶを使ってトキワシティに行ってしまったような感覚。レベル上げ、しなくていいのかな。

 

今回、東京でやりたいことはいくつもある。それらを完璧にスケジューリングしてあり、あとは実行するだけだ。我ながら最高の計画だと思っている。映画、サウナ、音楽ライブ、アイドルイベント、本屋、演劇、講談、銭湯、ファストフード。自分の好きなものだけで固めた。*2こんなにしあわせなことがあっていいのだろうか。しかし、一番の楽しみは人に会うことだ。いろんな人に会って話をする。できればうんと楽しい話がしたい。この数年間のさみしさから解き放たれたい。

 

わからなくてもだいじょうぶ 卒業旅行② - そこが海ではないとして

 

 

*1:https://journal.jspn.or.jp/jspn/openpdf/1100030182.pdf

*2:サッカーとお笑いは前回見たので外した