そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

ミュータントの徒疎か

真っ当に働き出して5ヶ月。

限界だと思うときと、まだやれると思うときの繰り返しで、そのループの中でどんどん深く沈んでいるような、取り返しのつかない場所までついたような、そんな気がしている。

逃避のことをずっと考えていた。すぐにやめられるし、と思った。苦しくなればなるほど、いつか終わりが来るから、やめられるから、なんて思った。でも、終わりは来そうにない。甘かった。生活とはそういうものだ。ずっと続くものだった。この逃避願望も連れて、ずんずんと深くまで。

仕事自体が辛いわけではない。ただ色々と考えてしまう。休みの少なさと残業時間の長さ、退勤時間の遅さ、給料の低さ、そしてこの行く宛のない不安は、そのまま自分の過去の失敗に繋がっているのだと思ってしまう。でも、たぶん自分の失敗がなくても、というか僕じゃなくても、平等に理由を見つけてきて、色々な不満を言うのだろうと思うから、やり切れない。僕だけが辛いわけじゃないし、僕が特別辛いわけじゃないということを重々承知の上で、あと数十年続くだろう生活を憂う。

しかしやけに恵まれている。仕事をやめてもたぶん数ヶ月は困らないし、良い友人に囲まれて暮らしている。いつもそうだった。僕の環境はいつでも平穏で温暖で、そんな中で自分だけ落ちていくのが本当に馬鹿みたいに思える。中学の頃も、大学入ってからも、気づいたら勝手に自分から落っこちて、なんの段差もないところで躓いて、嫌われていないのに疎んで、突然変異的な自分を呪ったり救われたりしている。

今日は限界のターンだから、明後日あたりにまた大丈夫なターンが来る。そうしたら大丈夫だからねって言い聞かせる生活。心の中のミュータントをどうやっても飼い慣らすことができなくて、かといって何かに昇華することもままならず、噛み砕けないままに飲み込んだ鬱屈が喉に詰まってしまうから、水を買わなくては。少なくとも、雨水では足りない。