そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

 

3月。海に行きたいなと彼女が言った。時計の針は17時半を指していて、日没まではまだ時間がある。車を飛ばせば、明るい海が見られるかもしれない。だけど僕はそうしなかった。海には近付かないまま、ひたすら北に向かった。

知っている海を見たくなかった。感傷みたいなものを引き出したくなかった。どうしたって意味を持ってしまうものに、今は向き合えないと思った。そして、そう思ってしまう自分を恥じた。

 

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僕の住む街から、車で20分の場所に海がある。そこには閖上という街があって、閖上に住んでいた友人を何人も知っている。サイクリングセンターや商店街や市場があって、子供の頃に何度か行ったから、7年よりもずっと前の景色を覚えている。そのすぐ南には農業高校があって、仙台空港がある。空港の周りの道から一本曲がると臨海公園があって、親に連れられてよく遊びに行った。展望台に登ると、すごく綺麗な海が見えて、お気に入りの場所だった。

 

まだ自宅の電気も復旧していない3月15日に、勇気を出して自転車で海へ向かった。それまでの4日間は、恐ろしくて海の方へは近づけなかった。真っ暗な部屋の中でラジオから流れた、何十、何百、何千と増える犠牲者の数を伝える低い声が、今でも耳に残っている。

海から数キロ離れた場所に有料道路があって、その向こう側から景色は一変していた。大きく冠水している県道に、近くの農業高校で飼われていただろう豚が数匹、死んだまま転がっていた。それから、崩れた家を見た。屋根が落ちたガソリンスタンドを見た。変形した道路を見た。橋はなくなっていた。建物もなくなっていた。なぎ倒された電信柱に何度も行く手を阻まれる。背丈より何倍も高い場所にまで海の水は届いていて、見える景色のほとんどが土の色をしていた。古写真のように色褪せていて、別の時間軸に迷い込んでしまったような感覚を覚えたけれど、空だけはちゃんと青かった。信じたくないくらい、青かった。

目を、鼻を、耳を、僕が持っている感覚器官をすべて疑いたくなるような、記憶のセーブデータをすべて失ってしまったような、言葉にならない感情を抱えて海沿いを自転車でひた走った。足を止めてしまえば現実を受け入れなくてはならない気がして、その怖さに向き合えないと思った。だけれど、どんなに走っても、逃げても、同じ土色の景色だった。そして、海沿いの土地はどこまで行っても同じ言葉で括られるようになった。

僕は16歳だった。子どもでも大人でもなかった。自分の判断でやれることとやってはいけないことがあって、できないことだらけで、ひたすら勝手に傷付いた。後から考えて、もっとこんなことがやれたはず、なんて考える度にまた落ち込んだ。

色んな学校行事が延期になったり縮小したりした。色んなお店が夜間営業をやめた。色んな場所で改修工事が行われた。命があるだけいいじゃん、と当たり前に思う。戻るものや直るものがあるだけいいじゃん、と当たり前に思う。だけど今考えれば、高校2年から卒業にかけて、色んなものを犠牲にして生活していた気がする。それはあの時期を過ごしたみんながそうだった。みんながそうだったから、だから何?とたまに思ってしまうけれど、もっと辛い人がいて、もっと大変な人がいる。このことは事実だったから、悲しいとか辛いとか言えない。言わなくていい。そういう日々は今も続いている。

家を失ったことや、友人や家族を失ったことや、住んでいた街に戻れないこと。その悲しみや痛みは計り知れない。比べると、自分はなんてことはない。それなのに自分も心のどこかが摩耗していて、苦しんでいて、弱さが憎い。

 

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2018年になった。時間が過去を引き離す。義務付けられた努力を放棄するように、僕はできるだけ海のことを考えないように暮らしている。あの日から起こった様々なことを考えると、またなんてことはない悲しみに押し潰されて、息苦しくて、生活が出来なくなってしまうから。だけど、どこまで行っても海岸線は続いていて、この街で生きていく限り、3月と向き合わなくてはいけない。

 

車は北へと北へと走り、牡鹿半島の海に辿り着いた。どうしてどうしようもないどうでもいい自分のことばかり考えてしまうんだろう。車から降りると夜の海はしんと静まり返っている。なんだか海に怒られているような気がした。彼女は防潮堤の先までずんずん進んで、やがて姿が見えなくなってしまった。戻ってこないかもな、と少しだけ思った。戻ってこない色々なものを知っているから。

僕はその場から一歩も動けず立ちすくんでしまって、真っ黒な海を見つめていた。帰れないかもな、と思った。帰らなくていいかもな、と思った。もう全部どうしようもないな、と思った。一人になると色んな感情が波のように襲ってきて、飲み込まれてしまいそうになる!ちょうどその時、彼女が小走りで戻ってきた。戻って来てくれて良かったって本気で思った。色んなことを伝えたくなってしまって、だけど何一つ伝わらないような気がした。それらを言う代わりに、帰りの車の窓を開けて、外の空気をいっぱいに入れて、「春、だね」と言った。