そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

虚を衝く幻

 

毎日色々なことに怒りや憤りを覚えるのだけれど、その原因を丁寧に掬い、自らの意見を出力するのにはパワーがいる。そして、今の自分には力が足りない。そんな日々が続いている。

インターネットが全てじゃない。そんなことはよくわかっている。だけれど、インターネットにしか存在しない人というものはいない。この空間における匿名性はどんどん薄くなっている。インターネットを隈なく探すと色々な人間が存在していて、彼らは全員、現実世界でも生活をしているのだ。インターネットは現実世界とますます近接している。だから時々怖くなる。

何が差別か。何が面白いか。信じているものは何か。どんな人なら無条件に叩いていいのか。インターネットを覗くと人々の信条と行動がわかってくる。もちろん、この空間でより増幅されてしまう感情や、エスカレートしてしまう行動もあるだろう。それにしても。この国では不倫をした人間はほとんどの人権が奪われてしまう。顔を黒く塗っても問題としない人がいる。一度悪いことをした人間はずっと責められ続ける。童貞は嘲笑の対象。不寛容と鈍感のダブルスタンダード

こんなに当然で、言っても仕方のないことに、いちいち心を痛めたり怒りを覚えたり恐れを抱いたりしてもただ疲れるだけだ。僕は今の日本のことしか知らない。今の日本の善し悪しを、他の国や過去と正確に比較して判断することはできない。もっと不寛容な過去もあったかもしれない。マイノリティーが理不尽な扱いを受けていた歴史を、知識としては知っている。だから、2018年に生きる自分が抱える生きづらさをどう処理していいかわからない。世界は良くなっているはずなのに。

必ず正しく振る舞える人間など存在しない。自分だって加害者になり得るし、なっている。無意識に人を傷付けることがある。自分の無意識を擁護するわけにはいかない。人の「無意識」は受け取り手によって「悪意」に変換されてしまうだろう。受け取った側がどう捉えるか。行為の結果を考えなくてはいけない。

決意表明 - そこが海ではないとして

1年前にも同じようなことを思っていた。怒りを覚えていた。世界が良くなっているのかわからない。やっぱりこんなことは言いたくないし思いたくない。インターネットに対して怒ることを「見えない敵と戦う」ことだと思う人もいるだろうが、僕にとっては違う。物心ついた頃からインターネットがあった。この空間は確実に現実と繋がっている。

正しくありたい。しかし正しさもまた息苦しさの要因になる。正義は悪の首を絞めるけれど、正義も悪も人々の定義によって容易に入れ替わってしまう。でも正しさは捨てたくない。Post-Truthの時代は2018年も続くだろう。僕たちは虚構に振り回されながら、信じたいものを信じつつ、多数派に回ろうとする。僕たちが本当にすべきこととは?

今のところの自分の指針として。他者攻撃はしない。肯定中心の思考をする。異見を切り捨てない。自分で真実に辿り着く。できるだけ平易な言葉を使う。怒りを諦めない。自分の感情を見捨てない。今年もよろしくお願いします。