そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

まばたきを三回

 

もう8年になる。色んな人がいろんな場所で志村正彦のことを考えている。12月24日という、もっと別なことを考えられるような日に。僕もとりとめのないことを書こうと思う。

 

思えば相当変な人だった。もはや存在していたのかも怪しいくらい。ライブでは自分の作った曲を全然うまく歌えない。調子が悪い時は聴くに耐えない。でもアメスピは吸う。歌詞が素晴らしい大名曲を生み出したかと思えば、同じ年には「メメメメメリケーン!!!」と叫ぶ曲もリリースする。電車に長く乗っていられない。ラップをすれば異常に気持ちが悪い。あんなにマニアックな音楽を聴いて作っているのに、バンプレミオロメンのファンを公言するミーハーな一面もある。スウェーデンでのアルバムレコーディングはどうでしたか?とインタビューされた第一声が「女の子がすごく良い匂いをしていましたね」と言う。

 

とにかく変な人で、音楽も掴み所がなくて、歌が下手で、TEENAGERはまだわかりやすいけど他のアルバムの曲は本当にクセが強くて、ファン以外に彼の魅力を伝えるのはとんでもなく難しかった。ましてや、彼が亡くなった時、僕はまだ中学生で、今ほどに邦楽ロックやフェス文化がメジャーでもなかったから、近くにフジファブリックのファンがおらず、この悲しみをどうすれば、同級生にどう伝えれば!と思ったりもした。そして後から、思ってたよりもたくさんの人に愛されていたことを知った。嬉しかった。

 

訃報を聞いたのは12月25日のことで、公式サイトがパンクしている中、ちょうどMステの年末特番をテレビでやっていて、ユニコーンが、奥田民生が、「WAO!」というめちゃくちゃふざけている曲を、いつもめちゃくちゃふざけて演奏するのに物凄く大人しく歌っていたから、志村がいないのが本当なんだ、という気持ちになった。全然楽しくなれないよ、って思ってそこからベッドにうつ伏せになって泣きながらずっとフジファブリックを聴いていた。年を経るごとに、12月24日はとても悲しい日、という気持ちが少しずつ減っている。どうしたって街が騒がしいけれど、誰かが志村正彦のことを考えているって知っているから。あの日ベッドでひとりで泣いていた少年はひとりじゃなくなったのだし、最初からひとりじゃなかった。

 

8年間ずっとフジファブリックを聴いて過ごしている。その間に、残された3人も新曲をたくさんリリースしてくれている。フジファブリックはずっと死なない。今日だけじゃなく、色んなタイミングで志村のことを思い出すことができる。

 

富士吉田市の夕方5時のチャイムはこの時期だけフジファブリックの楽曲に変わる。それを聴きに行きたいなと前々から考えている。なかなか行けないけれど、富士吉田市は来年も再来年もそうしてくれるんだろうな、と思いっきり油断をしているから、6年後くらいに聴きに行こうかなと思ってる。

 

「サボテンレコード」という曲がたまらなく好きだ。「サボテンレコード」の良さを説明することは本当に難しいし、自分でもよくわかってない。わからない。好きだ。「追ってけ追ってけ」も大好き。これも説明できない。説明できないことを説明するブログですここは。フジファブリックをどうして好きか、志村正彦をどうして好きか、説明できない。好きなだけ。ずっと好き。

 

ちゃんと説明すると陳腐化してしまう気がする。どう言葉を尽くしても物足りなくなってしまう。ちょっとだけ自分の表現を試そう。彼の楽曲には振れ幅があり、「桜の季節」といった曲も「TOKYO MIDNIGHT」という曲も「赤黄色の金木犀」という曲も「TAIFU」という曲も、全然違うジャンルなのに、不思議と同じアルバムにしっかりと収まってしまう凄みがある。全然違うのに、フジファブリックの音楽だと納得させられるパワーがある。それが一番顕著なのは「TEENAGER」というアルバムで、「若者のすべて」という大名曲を「B.O.I.P.」と「chocolate panic」というど変態曲で挟むという、信じられない曲順をしているのだけれど、最高のアルバムになっているのだ。これはおかしい。「TEENAGER」は序盤の2曲で感動させられ、変態、感動、変態変態変態感動変態変態感動感動爽快、みたいなとんでもない傑作。あ、もうダメです。陳腐化した。説明がつかない。ファンや本人達に申し訳ない。

 

フジファブリックで一番好きな曲は「まばたき」という曲。恐ろしいくらいに志村正彦の詩世界が広がっている。

わがままな僕らは期待を

大したことも知らずに

手招きをしている未来のせいで

家をまた出る

なんでしょうね。8年経ったけれど、僕はまだ志村正彦を語り尽くせずにいる。だからファンをやめられない。やめる必要がない。