そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

夢にまで見た

 

夢を見ていると時々、どこか見覚えのある風景に出会い、「ああ、ここは昔に来たことがある場所だ」と思い当たる。しかし、「昔に来た」という記憶が本当かどうか判然としない。夢の中において真実がすっかり書き換えられる、なんてことはざらにあるのだから、僕の感覚も何かに支配されて、嘘の「あ、なんか見たことある!」を作り出しているのかも、と思う。

とはいえ、このリアルさ、切実さはどう説明したらいいのだろう。角にあるガソリンスタンドの油臭さ、木造の郵便局の慎ましさ、ぱっと開けた商店街の明るさ…。どれもこれも僕は見たことがある。どれもこれも僕は知っている。そうであるのに、ひとつも具体的な地名や思い出が浮かばない。景色だけが脳内の引き出しに取り残されてしまったようだ。

もしかしたら「夢の中で」昔に来たことがあるのかもしれない。そう思うようになったのは自分に夢のアーカイブが随分と積み上がってきたからだ。僕は毎日4作品くらいの夢を瞼に上映する。1年で1000作品になる。夢日記をつけるほどマメではないから、僕は僕によって生み出された名画のほとんどを忘れてしまっている。観衆は僕以外にいないのだから、Filmarksを見てもどんな物語があったか書いていない。正解がどこにもない!

僕は今日も見覚えのある風景のことについて考えていた。眠っていても移動する便利なバスに乗りながら。そして本当に見覚えのある街に辿り着いた。僕はいつだってこの街のことを考えている。

 

夢にまで見た街の入り口に咲くどこへも行けなさそうな紫陽花

 

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