そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

Sustainable suicide

 

大学に向かっている。

逃げ出して、いつから崩れてしまったか思い出せないくらいの生活。そんなことをいちいち考えてしまうけれど。何もできずにいたからこそ、随分と重くなった腰を上げて、会いたくない人、やりたくないこと、言っちゃいけないことに溢れている今日を絶対に強く生きなくちゃ。

起き上がれない程のここ何日かをどうにか生き延びた。いつもなら原付でどこかに行くところだけれど、それもできないくらい、ほんとうに苦しかった。人の手を呆れさせるくらい借りなければならなかった。どうしてこうなったか、これからどうしていいか、何もわからなかった。僕がわからないことを他人がわかるわけがなく、結局は自分が動かなければならないことを思い知った。

何も出来ないと思い込んでいるうちは何も出来ない。確かにそう思う。だけれど、思い込みではなく事実として、僕は何も出来ないと自分で思う。思うから、何も出来ない日々は続く。嘘でも詭弁でも、自分や他人を騙してでも、何かやる、どうにかする、そう思わなくてはならない。

自分の無能さでどれだけ他人に人を傷付けてきたか。どれだけ周りに迷惑をかけてきたか。そのことを思うと、まだ「自分に何か出来る」だなんて思い込むとしたら、申し訳ない気持ちと心苦しい気持ちがどんどん流れ込んできてしまう。過去の行いを肯定できないのに、今の自分を肯定できる気がしない。迷惑はまだ終わらず、今も謝罪できていない人がたくさんいるから尚更だ。

1年4ヶ月ぶりに講義を受ける。これは笑ってもらって構わないんだけど、大学に今いるだけで、ちょっと泣けてくるくらい震えてるんだよ。

 

当たり前のことを当たり前にできなかったから、戦いにするしかない。これは戦いだ。大袈裟ですか。

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