そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

どのような時に自分の成長を実感するか、について

 

漠然と「成長したい」と思っていても、何も変わらないのが常なのである。

まずは自分の思う「成長」が何なのか、具体的に定義付けした方が良い。数値を伴った定義付けが好ましい。数値にするのが難しくても、出来る限り可視化できるものにしたい。

つまりは「比較しやすい」状態を作るということである。「成長」とは「変化」のことである。「変化」を計るには過去と現在の「比較」が必要だ。

 

僕はできるだけ、現在時点での「数値」や「状態」を記録するようにしている。「数値」であれば、ブログの閲覧数だとか、動画の視聴回数、SNSでのいいねの数、バイト先での業務に関する数値もできるだけ残しておく。「状態」であれば、周りの人々との関係性、やりたいと思っていることとその達成度、自分の心理状態、など。

記録する場所は、探そうと思った時にすぐアクセスできる、という条件を満たしていればどこでも良い。自分は記録を残すときに、できる限り「後から編集しにくい」ことと、「他人の目に触れる」ことを意識している。編集が可能であり、誰からも見られていない状態であれば、記録の改ざんや抹消をしてしまうことがある。

僕の場合、大体はFacebookに残している。Twitterは遡りにくい。日記では多くの人に見られない。ブログでは、他人の意見がわからない。自分はFacebookをあまり使わないので、振り返りがしやすい。他人からのコメントやいいね数も大切な指標になる。

 

この1年、色々なことがあった。僕を支えたのは、過去に記録していた自分からの「変化」であった。これを「成長」と呼ぶには心もとないかもしれない。しかし、ブログの閲覧数は増え、交友関係も広がり、精神的にも少しは安定してきた。新しい試みもたくさんした。自分の生活の中心になっている、動画とブログを始めたのも2016年だった。

「僕は何者になりたいのか」を強く意識し、今の自分の状態を記録し続けている。このやり方は「自分」に依存し過ぎているため、より良い方法は間違いなくあると思う。仕事に役立つスキルを身につける方法はきっと別だ。

 

でも、僕はこの1年で大きく変わったし、ある程度の「実績」を得た。そのことは、大きな自信になった。どちらかというと、「やらなかったことをやるようになった」のが2016年だったように思う。2017年は「出来なかったことが出来るようになる」を目指したい。

そのために、「出来ない」をたくさん書き出す必要がある。「出来ない」を強く意識して、なぜ出来ないのかを考える。「出来る」に変えるためには何が必要かも書き出す。思うだけでは忘れてしまう。書くしかない。

 

どのような時に自分の成長を実感するか。簡単に言えば、「過去の自分よりも、自分のなりたい姿に近付いている時」である。だから僕は、「自分のなりたい姿」を具体的にたくさんイメージしている。その数が多ければ多いほど、成長を実感する回数も多くなる。ぼんやりとしたイメージ、ひとつしかないイメージでは、自分を満足させられる瞬間が極端に少なくなってしまう。

結論を言うと、僕は自分にとことん甘い。なりたい自分をたくさん用意して、クリアするハードルを下げてしまっている。自分が「成長しているのがわかる」瞬間が好きなのだ。