そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

決意表明

 

ひとまず、自分のFacebook投稿からの転載です。Facebookの層にも届くように書かなきゃ伝わらないですからね。絶対に伝えたいからな。

 

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【息苦しい世論、メディア論、2017年の目標など】

 

最近ずっとブチギレてます。だって息苦しいんだもの。

 

2016年はメディアが人を徹底的に追い詰めた1年だったのではないでしょうか。SMAPが、成宮寛貴が、ベッキーが、川谷絵音が、その他様々な人々が、事実かどうか分からないような報道を受け、人々の悪意に晒され、苦しみ、芸能界から姿を消した方も多くいらっしゃました。

 

誤解しないで欲しいのは、僕らも「メディア」の一員だ、ということです。報道が出て誰かを追い詰めるたびに「週刊誌が悪い」「事実であるなら本人が悪い」と、一般人による、まるで自分は悪くないかのような発言がSNS等で見受けられました。しかし、そのニュースを読んで拡散したあなたも、事実かどうか分からないことを事実のように受け取ったあなたも、そしてSNSに自分の意見を書いたあなたも、全員が人を追い詰めているのです。

 

みんながナイフを持って、「悪いとされている人」をザクザク刺しているのです。そういう時代です。きっと自分、あるいは自分の好きな人や物が刺されないと痛みが分からないでしょうね。いや、痛みが分かっていたとしても、別の場所では容赦無く人を刺しているでしょう。

 

色んなものが世論を形作り、誤解を誤解で塗り固め続けています。一度事実とされたものを覆すのは本当に難しいことです。新年もいきなり、最低な出来事が起こりました。初詣でベビーカーの利用自粛のお願いを出したお寺の件です。

 

簡単に説明します。初詣の際にベビーカーを優先していたお寺が、利用者のマナー違反やベビーカーが原因となった事故が起こったことで、今年から「ベビーカー利用自粛のお願い」の看板を掲示しました。すると、Twitterでこのお寺を批判するツイートがたちまち拡散されました。「これは子育て世代への差別ではないか」と。詳しいことはこちらの記事にしっかり書いてあるので、絶対に読んでください。


http://www.j-cast.com/2017/01/05287436.html
初詣「ベビーカー自粛」要請で大騒ぎ 「差別」批判へ寺側の意外な言い分 : J-CASTニュース

 

事実を深く知らないまま、「強く」批判する人々が非常に多いです。乙武氏やおときた議員のような、言葉を注意深く扱うべき方々が、断片的な情報だけで強い批判を重ねたことは大変残念なのですが、元々の発端は一般人によるツイートでした。

 

僕らの発信がどれだけの力を持っているか。ネットやタイムラインに流れる情報だけで事実に辿り着くのがどれほど難しいか。多くの方に改めて考えてもらいたい問題です。それを解決する術がないまま、毎日毎日誰かが標的となり、叩かれ続けています。そのことが本当に悔しいし、情けないし、嫌で嫌で仕方がありません。

 

確かに大手メディアの報道には疑問ばかり感じます。先日ブログで書いた、紅白歌合戦でのりゅうちぇるの件だけではありません。成宮寛貴くんが芸能界引退に追い込まれた件、そして2016年のSMAPに対する報道もそうです。愛のないニュースが増え続けています。テレビやラジオを文字起こししただけのニュースで拡散される誤解、推測や事務所の意向だけで書かれた記事、明らかに「批判する」ためだけに話が盛られたタイトルの付け方。

 

それとほぼ同等、いやそれ以上に、僕は世論というものが怖いです。世論というのは人々の集合です。だから僕は人が怖いです。なぜなら、ニュースを読むのは人です。事実ではないニュースを、あたかも事実のように扱うのは僕らです。悪者を決めるのはたしかに週刊誌かもしれませんが、攻撃をするのは一般の人です。誰もニュースを信じなければ、誰も攻撃をはじめなければ、こんなに誰かが苦しむことはないのに。もっと注意深く事実を追ってほしい。そして何より、事実だとしても、悪いことをした人間を叩くことが「正義」だなんて思わないで欲しい。そこに快楽を感じないで欲しい。もっと苦しむ人の心情を想像して欲しい。

 

去年、SMAPの件や成宮くんの件で、わりと精神がやられてしまいました。それ以外にも、友人が匿名の悪意に晒されるという経験をして、非常に苦しみました。今年は出来る限り、精神が磨り減ることが少なくなればいいなと思います。色んな人を守り切って、誰も攻撃せず、肯定の光を放ち続けることが2017年の大目標です。

 

 

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こんなこと書きたくないんだよなー。

僕はゆるゆると、良いものを良い!って褒めるだけ褒めていたいし、楽しいことを楽しいって言っていたい。

「批判を批判」するのもやっぱり「批判」であることには間違いない。僕も悪の一派であり、批判を重ねる人たちとなんら変わらない存在になってしまう。悲しいけど。

だから、批判の批判、をするのはとりあえずやめにして、とにかく肯定して肯定して、事実をしっかり追って、多くの人を幸せにする。頑張ります。やるぞ2017年。