そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

盛岡、櫻山、開運橋

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それにしてもいつからどうして盛岡がこんなに好きなのだろう。

住んだこともなく、人生で数度しか行ったことがないのに、僕はもう頭の中で盛岡で青春時代を過ごしたような気持ちになっている。

でも僕は盛岡に実際に住んでいない。旅人として見る盛岡しか知らない。そのことがすごく悔しくなるくらい好きな場所で、10月と11月に1回ずつ行ったけれど、今年あと1回くらい行こうかな、なんて考えている。

 

初めて行ったのは小学6年の修学旅行で、白龍でじゃじゃ麺を食べたり、啄木・賢治青春館に行ったりした。まだ銀行として営業していた中ノ橋のレンガ造りの建物を本当に好きになって、中に入って怒られた。

知らない街を子どもだけで自由に歩くのは、初めての経験だった。生まれて初めての知らない街、自由の街。そこで見た建物や、自然や、神社や、それら色々が忘れられなくて、ずっと僕は盛岡が好きなのだろうと思う。

 

だけれど、あの日には確かに存在していた光ビルや中三は無くなっていて、次に行く時はバスセンターも無くなっているのだろう。中ノ橋支店はレンガ館になって、肴町や櫻山のあたりも綺麗になって、だからといって昔の風景をほとんど覚えていないから、悔しい。

11歳のときに衝撃を受けた美しい(そして古い)盛岡の街並みは、少しずつだけれど消えてしまっている。その分うんと便利になって、住みやすい街になってくれているのだとしたらそれでいいのだけれど。

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櫻山のあたりをGoogleストリートビューで見ていたら、同じ場所のちょこっと前の風景が見られてうれしかった。もう無くなってしまった「えぞっこ」の姿を確認しながら、そうだ、この盛岡を僕は好きになったのだ、という気持ちになる。

 

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開運橋のたもと、おもちゃのこじま、ラブ。

僕は記憶の改変を繰り返しているから、このお店の常連であった、という設定にしている。

ここが無くなったらさすがにショックを受けると思う。

こじまのある通りは今は新しい建物が増えすぎていて困る。アーケードみたいにお店の庇が連なっている風景が好きだった。記憶違いかと思って調べたらちゃんと記憶通りの風景が写真に残っていて泣きそうになる。

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大きな地震があったし、時はどんどん流れているし、不景気だし、建物がどんどんと新しくなるのは仕方のないこと。

そこを生きられなかった僕は、せめてギリギリのところで生き残っている景色をこの目に焼き付けるために、何度も何度も通おうじゃないか。

 

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この前盛岡に行ったときに行ったリリィという雑貨屋がとても良かった。住んでいるみたいだな、と思った。住んでみたいな、と思う。

 

きのこ帝国の「桜が咲く前に」のミュージックビデオが美し過ぎて、泣きそうだ。もうこの映像は撮れないし、この屋上はないのだ。

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今回の東京旅では聖橋に行くと決めている。