そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

サマンサタバサる女の一生

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サマンサタバサを使う女性と僕は接点があるのだろうか。

女性モノのブランドには詳しくないので、街でサマンサタバサのバッグを使っている女性を見ても、それがサマンサタバサの物だと気付くことはまず無い。

そして僕はサマンサタバサのことを今の今まで誤解していた。あれは海外のブランドが日本に入ってきているものだと思っていたが、純粋な日本発祥の企業であるそうだ。ミランダ・カージェニファー・ロペスが普段使いするバリバリの海外ブランドのようなイメージを持っていたから、これは完全に企業のPR戦略に嵌った形になる。少し悔しい。

 

「強そうなバッグ」がたくさん置いてある。それがサマンサタバサに対して抱いている印象だ。「強そうなバッグ」。明らかに現世の上位層にいる女性が自身の地位や権力を誇示するための道具、と言い換えることができる。

実際、サマンサタバサを使う女性(以下、サマンサタバサる女)の戦闘力は高い。軟弱な男なら片手で突き飛ばせるくらいの力を持っているし、その戦闘力は同性にも躊躇なく発揮される。価格帯は関係なく、サマンサタバサれる女こそ強い。一度サマンサタバサってしまえば、もう秩序など存在しない。鬼に金棒、スタバにMac、強そうな女にサマンサタバサ。

そして真のサマンサタバサっている女は、サマンサタバサらなくてもサマンサタバサった時と同等の戦闘力を持つことができ、合コン、クラブ、結婚式の二次会など、いかなる時でもサマンサタバサれない女に対して圧倒的な差を見せつける。

では世の女性はみなサマンサタバサればいいのではないか、と思った方もいるだろう。残念ながら、それは不可能だ。サマンサタバサるにはサマンサタバサるなりの覚悟と資質が必要だ。本来サマンサタバサってはいけない者がサマンサタバサってしまった時、まるでスクランブル交差点の中心で立ち往生してしまった車のように、冷ややかな目線が突き刺さり、身悶えするような思いを抱えることになるだろう。

人生においてサマンサタバサれる時期は意外と短い、ということにも注意しておかねばならない。人は自身のサマンサタバサれるギリギリのラインをよく見誤る。まだサマンサタバサれると自分で思っていても、周りからサマンサタバサるのは限界だと思われてしまっていることに、あなたはすぐ気付かなくてはならない。

昨日までサマンサタバサれていたのに、急にサマンサタバサれなくなることもあるだろう。クローゼットにサマンサタバサを収納する時、サマンサタバサっていた自分も一緒に引き出しの奥に眠らせることになる。ホームランバッターが静かにバットを置くように。もう夜空に消える無限のアーチで観衆を魅了していたスラッガーたるサマンサタバサる女はどこにもいないのだ。残ったのは狭い1Kの賃貸マンションとそれなりのキャリア、そして飲みの席で鉄板となるダメ男のエピソードだけだ。もう誰にも持ち帰られなくなった女は、脱サマして実家に帰ることを選ぶかもしれない。(脱サマ:サマンサタバサらなくなること)

 

この文章を読んでもなお、サマンサタバサることを諦めない女性を僕は応援したい。そしてサマンサタバサってる友人がいたらめっちゃ謝る。平伏す。