「鼻セレブで床を拭く」という類の屈辱には成す術が無い。
鼻セレブというのは、特殊な製法によって通常のティッシュペーパーよりも格段に肌触りが柔らかくなっている保湿ティッシュのことである。大手ティッシュメーカーである「ネピア」の商品だ。
風邪気味で何度も鼻をかむ必要がある際、普通のボックスティッシュを使っていては、たちまち鼻の表面がヒリヒリ痛んでくる。僕らはこの悲劇を知っているから、鼻をかみたいのにかみたくないというジレンマに襲われる。
そんな時に重宝されるのが鼻セレブだ。何度鼻をかんでも周りの皮膚が痛くならない。そして何より素晴らしいのはそのネーミングだ。鼻セレブ。平民の暮らしを営む我々にとって憧れであるセレブリティーに、鼻のみが触れることを許される。通常のティッシュより少し高価であるが、セレブに近付けるのであればと、僕は喜んで購入する。
鼻水が出そうな時、それは鼻セレブの降臨を意味する。鞄から周りに見せつけるかのように鼻セレブを取り出す。エイミー・アダムスがティファニーを身に付けるように、ジェニファー・ロペスがハリー・ウィンストンを身に付けるように、僕は鼻セレブを使う。ありあまるほどに使う。
そして安いハンバーガーを食べるのだ。鼻セレブ、口ジャンキー。驚くなかれ!これぞ顔面格差!普段は威張り散らしている口があっという間に都落ちだ。鼻は天下を取ったのだ。
口よ、目よ、耳よ、君らは休日をどこで過ごすのか。鼻は海の綺麗な離島でバカンスを楽しむだろう。別荘に可愛い女の子やカッコイイ男の子を集めてパーティーをするだろう。パパラッチに追われる鼻。グラミーでプレゼンターを務める鼻。有事の際にはこっそり多額の寄付をしている鼻。鼻、セレブ。
口はまだピクルスをバリバリと噛んでいる。目は壁についた染みを見つめている。耳は外の工事現場の雑音を聞いている。みなが平凡な暮らしで摩耗していく中、鼻だけが遠い異国の地で暮らしていることよ。
ああ確かに僕の鼻はモンゴロイドのそれだ。団子を想起させる、環境に優しい低層構造だ。されど掴んだジャパニーズドリーム。ネピアの神に愛されたのだ。余談であるが、ネピアは非常に神っぽいネーミングで好きだ。クリネックスやスコッティではそうはいくまい。エリエールは女神っぽいから許そう。回復の呪文とか使ってくれそうだねエリエール。
そんなことを考えながら過ごしていたら、ハンバーガーからケチャップがこぼれた。床を汚してしまった。僕は僕を鼻で笑う。いや、セレブである鼻が自身の意思で笑ったようでもある。ああ、これだから平民は嫌だ。汚らしい。
しかし反旗を翻す奴が現れる。手だ。手は鼻セレブを手に取り床を拭こうとしている!なんという屈辱だ。ヴィクトリア・ベッカムが恵比寿の酒屋でバイトするようなものだ!ちょっとスパイスが効きすぎている。セレブが床に平伏す惨めさと言ったら。
「おいおい、そんなのファストフードやファミレスでお馴染みのパリッパリな紙ナプキンで拭けばいいじゃないか」鼻は憤ったように息を荒げる。
「悪いな。あれじゃうまく汚れが吸い取れないんだ」手はもう、床まで数センチのところまで近付いている。
「せめて普通のティッシュで拭けばいいだろう、鼻セレブは床を拭くために存在しているのではない!セレブなんだ、生まれながらのセレブなんだ、週末はテイラー・スウィフトとビーチで過ごすんだ・・・」
・・・
あ、僕ですか?僕は鼻セレブと普通のティッシュを両方持ち歩いているので上記のような惨劇は起こりませんよ。皆さんにも二刀流をお薦めしておきますね。