そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

ブックオフ・トレジャーハンター


まだ仙台駅前のBOOK OFFがさくら野という地元百貨店の上階にあった頃、僕は空いた時間によくエスカレーターで上まで登って、100円の文庫本コーナーで小説を1000円分だけ買っていた。区切りを決めないといくらでも買ってしまうので、1000円までと決めていた。何冊か読んで、読み切らないうちにまた本を買いに行っての繰り返し。その名残で自室には数百冊ほどの小説が眠っている。読み終わらなかった本もたくさん眠らせている。

 

中学生の頃は、郊外のBOOK OFF巡りをしていた。本を読むことより、古本を買うことが好きだった。100円の文庫本コーナーには、人気作家の作品はほとんど置いていない。その中から好きな本、読みたい本を探すのはほとんど宝探しのようなものだ。ロードサイドのBOOK OFFに眠るお宝文庫本を探しに、休日になると自転車をかっ飛ばして4号線バイパスを北上あるいは南下して、区境や市境をいくつも越えていった。一番遠くでは、白石市にあった県の最南端のBOOK OFFまで自転車で行った。どうしてそんな無茶なことをしていたのか、今ではあまり思い出せないけれど、きっと楽しかったんだと思う。


BOOK OFFの品揃えは、当然だけれどもお店の近くに住む人々が何を売るかに左右される。だから、遠くにいけばいくほどお宝が得られるRPGゲームのようなシステムではない。ロードサイドBOOK OFF巡りを続けて数年経ち、駅前のBOOK OFFの方が郊外の何倍も良い本があるということが判明した。それからはずっと駅前のBOOK OFFに入り浸るようになった。お金のない文学少年にとって桃源郷のような100円文庫本コーナー。複数のビルを繋ぎ合わせた特殊な構造を持つさくら野百貨店の2フロアに跨って入居し、まさにダンジョンのように入り組んだBOOK OFFのあの一角にこそ、僕の青春はあった。あの場所から幾多もの宝を持ち帰った。


それから数年が経ち、僕はもうほとんどBOOK OFFには行かなくなった。今の僕なら、Amazon丸善で新刊を買うことができる。しかも、文庫本ではなく、ハードカバーで買うことができる。だからわざわざBOOK OFFに行って、あ行からわ行に至るまでの棚を2時間かけて見て、読みたい本を必死になって探さなくてもいい。欲しいものにはきちんとお金を払う。作り手にもお金が入る形で欲しいものを手に入れる。


駅前の一等地に店を構えていたさくら野百貨店が突然倒産したのは去年のことだ。BOOK OFFは近くのイオンに移転した。イオンといってもイオンモールではなく、かつてダイエーだったイオンである。 イオンに移転してから、BOOK OFFには一回も行っていない。特に意識しているわけでもない。本当に行く必要がなくなってしまっただけだ。


宝探しをしていた僕を否定する気持ちにはなれない。あの頃の僕は、お金がない代わりに時間を使って、本を読むだけでなく、本を買う時点から娯楽を享受していたのではないかと思う。それはとても尊くて、羨ましくもある。そして絶対に忘れてはいけない精神のような気がする。久しぶりにBOOK OFFへ行こうと思った。

 

古いエスカレーターはカタカタと音がする。イオンの上階に昇って、BOOK OFFに入る。すぐさま100円の文庫本コーナーへ。古本の独特な匂いがする。背丈よりも幾ばくか高い本棚がいくつも並んでいる。過去の自分に擬えて、あ行の棚を見る。本がある。何度も見た光景。宝探しのスタート地点。けれど、気持ちは一向に高揚してこない。そこからもう、他の棚を見ようとは思えなかった。僕の欲しいものはもうここにはないな、と思った。いや、正確には違う。お宝がこの中にもしあったとしても、何万冊からお目当ての一冊を探し出すトレジャーハンターには、もうなれない。


かつて僕がBOOK OFFで探していたのは本だけではなかった。中古のゲームを漁っている高校生、中古のCDを探している中学生、漫画を立ち読みする小学生。店内にいるすべての人がかつての僕だ。しかし今、全部が過去のもののように思えた。途端に切なくなって、足早に下りエスカレーターへ向かった。何を失ったかもわからないまま、さよなら、と思った。