そこが海ではないとして

This is the meaning of my life.

生活

 

働いている。なんというか、自分が思ったよりちゃんと働いている。偶然と幸運が重なって、この春からはちょっとだけ昇給し、ちょっとだけ昇進し、職場の中で重要な業務を任されるようになってきた。仕事は22時頃に終わって、帰りの電車でこれを書いている。

社会人になり損なっている僕が、新人研修や同僚への指導などをやっていることに、申し訳なさと滑稽さを感じる。自分のことだけで精一杯なのに、教育とか、指導とか、研修とか、サポートとか、本当にそんなことをしていいのだろうか。そんな資格があるのだろうか。でも、やるしかない。頑張るしかない。上司や同僚、オフィス内に何百人と人がいて、その何百倍も顧客がいる。毎日たくさんの人と接する仕事なので、自分の中で唱えている合言葉がある。笑顔・元気・必死。頭の中にこれをずっと浮かべながら、ひたすらに張り切って、笑顔で明るく対応している。

これが俺の限界なのだ、と思う。優秀な人間なら、ちゃんと社会人になれた人間なら、「頑張る」とか「笑顔」とか「元気」とか、牛丼チェーンのアルバイトの標語みたいなことを浮かべながら仕事はしない。もっと論理的に、計画的に、確かなビジョンに基づいて行動をしているはずだ。対して俺は、ただただ頑張っている。どんな時も嫌な顔をしないこと、誠意を持って人と接すること、気を抜かないこと、そういうことだけを考えている。

ただ頑張るだけ。頑張れなくなった時に死を迎えるだけ。俺は着実に使い捨ての歯車になって、一度回り始めたらもう自分の意志では止まることができない。そう思うと急に虚しくなってくる。別に多くの人から尊敬されるような仕事をしたいわけじゃない。新しい何かを生み出したいわけでもない。今の社会を支えられる仕事なのだから、それでいいだろうと思う。でも、この働き方には目標がないことがわかっている。消しゴムみたいに、小さくなって使えなくなったら終わり。もしくは途中で失くしてしまっても終わり。新しいものを買ってそれを使うだけ。

それが不満かと聞かれたらそういうことではない。自分にしか出来ないような、社会に新たな価値を生み出す仕事、そんなものは少なくとも僕にとってはない。頑張った先に何もないことがずっと虚しい。このままじゃ良くないなと思い始めているけれど、生活はまだ始まったばかりだ。